2003-10-14
§ [book] Ted Nelson "The Future of Information"
この間、ちまちまと本の整理をしながら発掘したものを見分していると、とても懐かしいものが出てきたのでホクホクとめくる。おお、今読んでも結構面白い。これは、卒論を書いていた時期にダウンロードして、苦労しながら全部プリントアウトしてファイルしてあったものです(なにしろ元がFAXフォーマットなので)。
Book: The Future of Information (scanned)
ちなみに、私の卒論のタイトルは『History of Writing Technology』でした。97年ですから、WWWがハイパーテキストの具現化だ、これからは、デジタルテキストの時代だ!紙なんていらねー!といってデジタルメディア論がずいぶん流行った時期です。メディアの変遷が『書くこと』をどう変えてきたのか、その一番先のところにまだ見ぬ「ハイパーテキスト的な著述」がありうるんじゃないか、そんな妄想がまだ現実味を帯びていた頃です。
知っている人も多いでしょう、彼はWWWが現れる25年以上前に、リンクとノードからなるドキュメント管理システムを構想し「ハイパーテキスト」と名づけた人です。彼はハイパーテキストを書き、閲覧するシステムを『ザナドゥ』と名づけ、その研究に一生を捧げました(ってまだ生きてますけどね)。
僕が彼の議論に惹かれたのは、彼のザナドゥでは「書き手」が議論の対象になっていたからです。それがWWWを作ったティム・バーナーズ・リーとの一番の違いでした(WWWは読むためのもの、ファイルをストックしておくためのものとして作られました)。ハイパーテキストは、書き手にとって理想のシステムになりうる。彼がリソースを自由に相互利用するための著作権管理システムにこだわったのも、ハイパーテキストが読むためのシステムではなく、著述のためのシステムだと考えていたからです。
あの頃、もうすでにテッド・ネルソンは過去の人でした。Hotじゃない方のWIREDで叩かれたりしていたのも確かこの前後です。彼はTCP/IPとWWWを攻撃しながら、自らの理想を頑なに追い求め、Xanaduプロジェクトに固執するあまり、世間から取り残されていました。その後、彼と共に「著述のためのハイパーテキスト」は姿を消しました。彼の話を漏れ聞くたびに、「ハイパーテキスト」という言葉を聞くたびに、何となく寂しい思いをしたものです。ああ、やっぱり僕達の脳みそはリニアにできているんだろうか?
さて、今彼は何をやっているんだろう(ついこの間まで慶応SFCに居たはずですが)・・・ありました。
どうやら、いまだにWWWに恨みごとを言っているようですねえ。
彼のサイトにはWWWへの呪詛の言葉が、ご丁寧にテキストファイルでリンクされています。
すげー、何も変わってないよこの人・・・。
"We fight on. More later."
おー、まだやる気だ。