2006-08-23
§ **[clip] "The Day We Lost Pluto"(skytonight.com)
さて、「惑星の定義」の続報。IAUの会合で前回出された惑星の定義の修正版が議論された、というお話。最初に出されていた原案にはかなりの反対があったみたい。
で、その議論を受けて作られた新しい案は、
"A planet is a celestial body that (a) has sufficient mass for its self-gravity to overcome rigid-body forces so that it assumes a hydrostatic-equilibrium (nearly round) shape, and (b) is the dominant object in its local population zone, and (c) is in orbit around the Sun."
「自重で丸くなるぐらい重くて、周りの天体に比べてずっと大きくて、太陽の周りを回っている天体」
もちろんこの案だと2つめに該当しないので冥王星は惑星の定義から外れる。セレスもたぶんダメ。この定義案は後2日間さらに議論が重ねられてリファインされるそうな。
ちょっと面白いのは最後の一つ。前回提示された定義では、この部分が「恒星の周りを回る、恒星でも惑星衛星でもない天体」になっていた。新しい定義では惑星を「太陽の周りを回っている天体」に限定して、「恒星でも惑星衛星でもないもの」という定義をはずすことにしたみたい。
§ **[clip] Pluto Seems Poised to Lose Its Planet Status(NewYorkTimes)
こちらは同じ会合を伝えるNYTimesの記事。記事を書いた人(NYTの天文番DENNIS OVERBYE)のしょんぼり感があちこちから漏れ出している。議長のジンジャーリッチさんの「この案だと冥王星は惑星じゃなくなるんだ。ちょっと残念」「せっかく惑星を増やす案が出されたのに、ウルグアイのフェルナンデス君が違う案を出しちゃったんだ。今は彼の案のほうが人気があるんだよ」という言葉が引かれたりしている。なんだかかなり恣意的な引用だなあ。
冥王星はアメリカ人のパーシヴァル・ローウェルが位置を予言し、アメリカ人のクライド・トンボーが発見した。彼らは2人ともアメリカ人。冥王星が惑星から外れると、アメリカ人が発見した惑星は太陽系からなくなってしまう。そりゃ寂しいよねえ。仕方ないけど。
ちなみに、「冥王星」と言う名前をつけたのは日本人の野尻投影野尻抱影。今では中国でもこの名前を使っているらしい。「すいきんちかもくどてんかい、めい...は惑星じゃなくなったんだよね」うむ、確かにちょっともの足りない気もするね。仕方ないけど。
(と、こんなことを書いているけれど、僕は「この際、冥王星をはずしてすっきりさせよう」派)
§ **[clip] 2003 UB313発見者、惑星の新定義に異議「第十惑星にならなくてもいい」(AstroArts)
さて、冥王星と並ぶサイズの天体2003UB313を発見してしまったMicheal Brown博士は、最初に出された惑星の定義案(冥王星もセレスもカロンも2003UB313もみんな惑星)には反対だそうな。
最初の案だと、下手をすると惑星が53個に増えてしまう。これじゃあまりに多すぎるよ、と言うのがその理由。まあ、この人、次から次へと大きなカイパーベルト天体を発見していて、マスコミから「10番惑星発見か!」と騒がれるたびに、毎回「これは惑星じゃないよ」と言いつづけているんだけどね。
彼の出している案は「冥王星より大きければ惑星」。これだと惑星が増えていく可能性があるけれど「太陽系は冥王星まで、と思わせないためには、すこしづつ増えるほうがいい」そうな。
ref.The IAU has proposed a definition which would add hundreds of new planets to our solar system!
実は、僕はこの意見には反対。「惑星があるところまでが太陽系」という発想そのものが間違いだから惑星が増えることは正しい太陽系像を身につけることには繋がらないと思う。
§ **惑星の定義に関する私見
すごく偏った意見なので、そのつもりで読んで欲しいんだけれど...
個人的には、惑星の数が将来的に増えるかもしれないという状態になるのには、あまり賛成しない。覚えられないとか、教科書をどんどん書き換えなくちゃいけないという以前に、太陽系というものをイメージしづらくなってしまうから。
太陽の周りを9つの惑星が巡っているというイメージはなかなか強力だ。スケールはともかくとしても、その姿をイメージするのは決して難しくない。太陽に一番近い水星、厚い雲に覆われた金星、いま僕たちのいる地球、赤く乾燥した火星、一番大きくて縞模様の木星、輪のある土星、青く冷たいガス惑星の海王星、そして一番小さくて、一番遠くにある冥王星。少し天文に興味のある人なら、なんとなく姿が目に浮かぶと思う。
もう少し凝るなら、火星の外側と海王星の外側あたりにぱらぱらと小惑星を散らしてあげれば、ぐっとリアルになる。さらに太陽系全体を雲のような無数の氷や岩の塊で取り囲んで、たまに太陽に向かって落としてあげたりすれば、かなり本物の太陽系に近くなる。
もし、新しい惑星候補が見つかるたびにそれが惑星か否かを議論しなくちゃいけないとなると、この「太陽と惑星とその他大勢」という関係は、形の定まらないもやもやとしたものになってしまう。少なくとも「太陽の周りを、惑星が回っています」と言った時の想像力の喚起のされ方が全然違うんじゃないかな。
想像力がかきたてられる、というのはその世界へ入っていくためのとても大きな入り口になる。もちろん学問的な厳密さは確かに重要なことだけれど、それ以上に「分かりやすさ」や「明快さ」はとても大事だ。ファンを増やしたいなら特にね。
それから、「惑星の数を決めてしまうと、そこまでが太陽系だと勘違いされてしまう」という意見もあるみたいだけど、これにもちょっと賛成できない。太陽系がどこまで広がっているかという話と、一番遠い惑星がどこにあるかという話はまったく関係ない。
たとえば、エッジーワース・カイパーベルトを太陽系に含めるなら(これに異論がある人はあんまりいないと思う)、太陽系の端までは500AU、冥王星の軌道の15倍近くまで広がっていることになる。さらにオールトの雲まで太陽系に含めるなら、太陽系の端までは最大で1.5光年を超える(もちろんこれには諸説あるけどね)。
たぶん大事なのは、遠いところの星を惑星の仲間に入れることじゃなくて、太陽系には惑星以外の天体も沢山あるという認識のほうだ。その認識を得るためには、むしろ惑星の数は決まっていたほうがいいんじゃないかな。
すいません最初の話題の<br>「ちょっと面白いのは」以下の定義の訂正案は、<br>「恒星でも『衛星』でもない」<br>の間違いでは?
おっしゃるとおりです。お恥ずかしい。
間違い指摘に便乗。野尻"抱"影氏だと思います。
がーん、「ほうえい」って打って変換したつもりだったのに。<br>ほんとに恥ずかしいなあ。ご指摘、ありがとうございます。