Garbage Collection


2003-06-18

§ Daily Clipping

drx: Gameboy Gallery

ゲームボーイカメラで撮った写真。モスクワの写真がすばらしい。写真は画質や解像度「だけ」じゃないのだよ。

from Doodle


§ プライバシーの話

Junkyard Reviewに掲載しようと思っていた、昨日の「あなたの人生は誰のもの?」の件だけれど、2000字近く書いたところで、どうも焦点が定まらず、没にした。もう少し寝かせてから、書き直すことにする。悪しからず。


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代わりにといってはなんだけれど、大昔に書いた文章をここに再掲しておく。この文章そのものは本サイトのarchive、旧GarbageCollectionの過去ログ(2001.01.10?2001.07.16)に置いてあるもの。ちょうど2年前の文章だけれど、今もこの意見は変わっていない。

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プライバシーの話をしよう。


どうもこの言葉は、ひとを過敏にさせるみたいだ。でも、プライバシーって何だ? 人に知られたくないもの、うん、それも一つの答えだろう。昨日の彼女との楽しい一夜、うんうん。おとといの恥ずかしい失敗、そーいうのもあるね。今朝のうんちのサイズ・・・。でも、こーいうものって、他人にとってはかなりどーでもいいことだ。あまりに個人的で他の不特定多数の人にはあんまり意味がない。そう、興味を示すのはきみの知りあいぐらい。あるいは、君が有名人なら話は別かもしれない(有名人は"知ってる人"が多いからね)。


じゃあ、あなたの住所や電話番号やクレジットカード番号はプライバシー? そう、こう書けば解るけど「それはプライバシーの侵害だ」っていう台詞にはある種の無責任さが感じられる気がするんだよね。


インターネットだから個人情報が漏洩するんじゃない。レンタルビデオの会員証や宅急便の発送票からだって個人情報は漏れる(レンタルビデオ店の収入の一つが名簿を売ることだっていうのは誰もが知ってるよね)。店先でクレジットカードを渡す、「少々お預かりさせていただきます」店員が店の奥に消える。そこで彼がカードのナンバーをメモしていないと誰がいえる? じつはちゃんと作りさえすれば、オンラインの取り引きのほうが安全なのかもしれないんだ。


個人情報は漏洩する可能性がある。そのリスクにちゃんと意識的になれるかどうかが問題なんだ。完全なセキュリティってのは存在しない。どんなに強固なセキュリティでも必ずアクセスルートがある。だってどんな金庫だって少なくとも1つは開ける方法があるんだから。鍵と暗証番号を持っていれば金庫は簡単に開けることができる。そのことを忘れるべきじゃない。リスクは下がりはしても決してゼロにはならない。


これまでは、個人から外へ出て行く情報は限られていた(そう思っていただけなんだけどね)。たいがいの個人情報は「何時、何処で、誰に渡したか」がはっきりしていた。いいかえるなら、情報のやりとりがちゃんとシチュエーション(状況)を持っていたといってもいい。そして、ぼくらはそのシチュエーションを読むことで、無意識に情報開示のリスクコントロールをしていた。


OAショップのカウンターで携帯電話の申し込みをするのは何の抵抗もないけれど、道端のアンケートに電話番号を書き込むのはかなり不安。逆にいえば、リスクを感じれば人はそのリターンを求める。道端の怪しいアンケートにはそれ相応の対価がないと答えられない。


ネットワークでの情報のやりとりにはシチュエーションがない(あるいは無いようにみえる)。のっぺりしたメールの文面や、きらびやかに飾りたてられたWEBサイトはどれも同じようにみえて、どれを信用すべきなのか分からない。その中でちゃんとリスクコントロールするのはとても難しい。まして、サイトにアクセスするだけで、メールを送るだけで、ある種の情報がサーバへと流れていく。


あなたがどんなにネット上でハンドルを使ったとしても、あなたが加入しているプロバイダはあなたが誰で、あなたが今日ネット上で何をしたか全部知っている。メールだって読めるし、チャットの中身だって筒抜け。あなたが送ったメールは、経由したサーバの数だけコピーがある。携帯電話はつねに自分の位置を基地局に送信している。サーバ上のメールを盗み見ることも、携帯電話を盗み聞きすることも、どちらもそれだけならば犯罪でもなんでもない。


こう考えよう、プライバシーっていうのは自分がどんな情報を人に見せているのかをちゃんと把握する権利のことだ。自分が何を発信しているのかを知ることができれば、それをコントロールするのは難しいことじゃない。


§

意識するしないに関らず、自分がいつどこでどんなペルソナを公共の場にさらしているのか、そのことについて僕らはあまりに無意識だったんじゃないだろうか? 日常生活にもセキュリティポリシーが必要なんだ。そして、そのポリシーを守るのは決して法律家やサーバ管理者の仕事じゃないはずだ。

§

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今読むと、ずいぶん穴があるし、何より態度が横柄だなあ。


書きかけた文章の公開を思いとどまったのは、実は以下の文章を読んだから。ただし、これらのページに書かれている意見に賛成したからではなく、逆に、これらの意見の中にも先の文章と同じ「ゆがみ」を感じたからだ。


http://www.jca.ax.apc.org/stopUSwar/Japanmilitarism/jdf_recruit_inv_privacy.htm

http://www.jca.ax.apc.org/stopUSwar/Japanmilitarism/juki_net.htm


これらの文章は、国家陰謀論的思想に溢れたずいぶん極端な意見であることは確かだけれど、その裏側で、彼らの「プライバシー」に対する考え方が、どこか歪んでいるような気がする。一言でいえば、「無責任」な感じがするんだよね。なにが?どうして?といわれるとよく分からないんだけど・・・。


住基ネットが抱える危険性は承知しているつもりだし、あれに反対する理由もよく分かる(僕だって賛成しているわけじゃない)。でも、住基ネットの整備と個人のプライバシーの議論が結びつくところで、うっすらとプライバシーに関する無責任さが見え隠れするのが凄く気になる。ただ、彼らの意見に反論するだけでは、反論の反論を呼ぶだけで、ちっとも面白くない。さて、どーしたものかな。


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ああ、こういう内容を「やわらかく、しなやかに」書けるようになりたいなあ。