2003-06-03
§ [usability] Contents Usablity
この間の『文章を書くための技術』という偉そうな文章が某所から参照されていたので、自分の興味が枯れないうちに続き(?)を書いておくことにする。実はあの文章の元は、新人教育用のメモとして書かれたものを思い出して引っ張り出してきたもの。元の文章は、紆余曲折を経て、下の絵になる。
http://www.lizard-tail.com/isana/tmp/web_c-use01.png
これは、社内研修用に作った「企業Webサイト設計のための覚え書き」の一部。
「User-Centered Design」という考え方では、「ユーザーの経験をデザインする」ことを主眼においているけれど、「じゃあユーザーって誰よ?」とか、「具体的にどうすればいいの?」という疑問にはあまり応えてくれない。そこでひねり出したのが、上のチャート。
「真っ白なユーザー」はいない。ユーザーはサイトを訪れる時に、常識や慣習、既存の概念、予備知識などを携えてやって来る。そして、彼らはそのサイトに対して何らかの期待をもっているはずだ。「企業情報」かもしれないし「リクルート情報」かもしれない、もっと抽象的に「なんか面白いもんねーかな」かもしれない。Webサイトのそれぞれのページは、そういうユーザーの期待を引き受けつつ(時に裏切りながら)、次のページへその期待を引き継いでいかなければならない。
当然、ユーザーの期待はページを辿るごとに解消されたり、変化したり、強化されたりするはずだ。そのユーザーの期待の変化こそが、ユーザー経験そのものであり、「経験のデザイン」がフォーカスすべきポイントになる。そのコンテンツに相対した時、ユーザーが何に期待し、何をすでに持っているのか、それを検証しながら注意深くコンテンツを配置していく。それがWebサイト設計の中心課題となる。コンテンツにもユーザビリティがある。それは見た目ではなく、中身の問題だ。
これは、Webサイトの話だけれど、文章だって全く同じ(極論すれば、デザインや画だって同じだと思う)。「わかりやすい文章を」とか、「読み手のことを考えて」とか、「論旨をはっきりと」とか、言い方は千差万別だけれど、実はこれらは中心にある問いに全く答えていない。「分かりやすさ」や「読み手」や「論旨」は、時と場合によって全く違うし、文章を読んでいる最中にもどんどん変化していく、それにちゃんと追従しながら文章を書くのは、かなり難しい。
先日の文章の中で例として紹介した「フレーム」も、当然ながらこの「読者の期待への追従」を暗に要求している。読者の期待を無視して論理を展開させても、文章は説得力を持たない。そういう文章は、どんなに論理的整合性が取れていて主張が正しくても「的外れ感」残る。逆に、構造がなくても、ユーザーの期待に応えている文章は十分な説得力を持つはずだ。
文章を書くための技術としてあげた、「コンセプトと目的の言語化。目的を実現するための手段とプロセスの明確化。その手段同士のフォーカスとスコープの一致」というのは、実はこういうことだ。「論理的考能力」と一言で書いたけれど、その向かうべき先は、論理の構造ではなく、ユーザーの期待とコンテンツの整合性の方だ。あるトピックを表現するために、非論理的な表現が必要なこともある。問題は論理的か否かではなく、そのコンテンツが正しい方向を指差しているかどうかの方だ。
ひゃー、読み返すとまた偉そうだなあ。しかし、自分でこんなことを書きながら、一つ一つが刺さる刺さる。いたたたた。言うのは簡単なんだけど・・・がんばろうっと。
(この話、まだ続きます。→ 文章を書くための技術(追記) )