2003-05-30
§ [usability] 文章を書くための技術
Undercoustructionの太洋さんと、OneNightStand"Studio-S"のいのしょさんと都内某所で会食(こう書くとオフ会みたいだな)。ずいぶんこの話題で盛り上がる。
文章を書くというのは純粋に「技術」であって、それを芸術にするかどうかはまた別の問題だ。日本の国語教育はひたすら「文学を読むこと」に傾倒してきたし、わずかながら行われている作文教育も「文学者を育てる」ことを最終目標としているようにみえる。
日本人は驚くほど、文章を書くことに対するトレーニングを受けていない。大学に入って英語で論文書くためのトレーニングを受けさせられて、目からうろこが落ちた。ほとんど公式に当てはめるように、定められたフレームにそって文章を書くと、それなりのものが出来上がる。
例えばこういう感じ。
「私がこれから主張するのはXがYだということである」
「理由1」「理由2」「理由3」
「つまり、わたしのいいたいことはXがYだということなのだ」
こう書くと、「こんなものは文章じゃない」といってバカにする人がいるけれど、一度やってみるといい。実は、この中に文章を書くためにやらなきゃいけないことがぎっちり詰まっている。このフレームが要求しているものをちゃんとこなせるなら、かなりの文章力だと思っていい。コンセプトと目的の言語化。目的を実現するための手段とプロセスの明確化。その手段同士のフォーカスとスコープの一致・・・こういうことが適切に行われていないと、このフレームで文章は書けない。
これはなにも論文を書くためのフレームじゃない。伝えたいことを構造化して要素に分解し、再配置するというのは、自分の考えを形にして人に伝えるための基本的な技術だ。小説だって、エッセイだって、そのプロセスを経て書かれている(無意識にやっている人もいるし、意識的にやっている人もいる)。文章力というのは「表現力」の問題ではなく「論理的思考能力」の問題なんだ。
日本の「国語」の授業には、この「文章を書くための思考能力」を磨くことがすっぽり抜け落ちている。これは、かなり憂慮すべきことじゃないだろうか。
(この話、まだ続きます。→Contents Usability)
なんのために文章を書くのか。がもっと重要だと思う。<br>読む人の立場になれるか。伝わるかが重要では。
その通りだと思います、実は続きにはそのことも改訂あるので、よければそちらも参照してみてください。<br>http://www.lizard-tail.com/isana/diary/index.rb?date=20030603#p01<br>http://www.lizard-tail.com/isana/diary/index.rb?date=20030606#p01