2003-05-14
§ リサーチャーという仕事
実は、情報の受け取り方の中には、「能動的な受信」というマインドセットがあって、文章書いて食べてる人やリサーチャーと呼ばれる人の多くはみんなこの技術を使っている(と思う)。これは、「必要のない情報を切り捨てること」と「残った情報から新しい事実を組み上げること」のふたつからなっていて、かならず何らかのアウトプットが前提となっている。
そう、まず何よりも先にアウトプットのイメージがある。よくある勘違いに「情報を集めてから、それに従って結論を導き出す」というのがあるけれど、これはものすごく効率が悪い。下手をするといつまでたっても終わらない。結論は先にある。これを、仮説と言い換えれば、サイエンスリサーチだって同じことだ。「事実を組み合わせれば、どんな結論にも到達することができる」これはリサーチャーの信念であり、戒めとして覚えておいた方がいい。そして、どんな結論を選ぶのかは、それぞれリサーチャーのセンスと良心が決める。当然、クライアントの意向が最優先されることは言うまでもない。
あるアウトプットを出すために必要な情報だけをスクリーニングし、再編成することで新しい事実をつくる。これが、情報が生み出される時の基本的な構造だ。人間には認知限界があって、あるアウトプットを出すためには、どこかでインプットを制限してやらないといけない。平たく言えば、見切りをつける能力のことだ。そのインプットの制限さえできてしまえば、アウトプットをつくるのは難しくない。
普段リサーチャーの仕事をしていて、自分が一番時間をかけるのは、じつはこのスクリーニングのためのフィルターを作ることだ。どのくらいの範囲まで押さえれば、嘘をつかずに済んで、お客さんに満足してもらえる網羅性とオピニオンが組み上げられるか。それが分かれば、レポートは書ける。作るレポートが5ページなのか50ページなのかで、その深さと広さが変わるだけだ。
そして、このフィルターを作る作業こそが、レポートのシナリオを作ることに他ならない。そのレポートが誰に読まれ、なにに使われるかを頭に置きながら、スクリーニングする情報の深さと広さを決める。どういう流れで、何と何を述べれば足りるのかを見極める。最初は大雑把でかまわない。そのシナリオに従って情報をマッピングしていけばおのずと細部は見えてくる。
さて、問題は個々の情報に対してどうアプローチすればいいかという点だけれど、これにも実はちょっとしたコツがある。よほど鈍感な人間じゃない限り、こういうリサーチを一度でもやれば、情報というものが相対的なものでしかなくて、絶対的な真実なんてものが存在しないことに気付くはずだ。あらゆる情報は歪んでいて、歪んでいるからこそ情報として価値がある。逆にいえば、その歪みを読み取るために、情報を集めているといったほうがいいかもしれない。
リサーチャーにとっては、ある情報がある立場の人間からどう見えているかの方が、表面的な情報よりも重要性が高い。それが分かれば、自分の立ち位置を決めることができるし、その周りに拾い上げた情報をちゃんとマッピングしてあげることができる。注目すべきなのは、事実ではなく視点のほうだ。
そして決して忘れてはいけないのは、リサーチをやっている君自身もある歪んだ視点に立っているということだ。君はニュートラルな存在ではない。自分自身がどう歪んでいるかを認識するのは簡単なことではないけれど、そのことを自覚してさえいれば、シナリオを修正することは難しくない。
君は全てを知ることは出来ない。でも、それは、目の前の情報を作った誰かも同じことだ。嘘をついてはいけないけれど、真実を明らかにしようなんて思わない方がいい。それは君が決めることじゃない。実は、お客さんが欲しがっているのは、真実ではなく、その真実を見るための視点のほうだ。信じるに足るだけの情報と、それを読み解くための視点をちゃんと手渡せば、真実はお客さんが作ってくれる。リサーチャーというのはそういう仕事だ。
§ Blogのお話
上の文章は、ずいぶん昔に、リサーチャーのクリエイティビティという議論をしたときに勢いで書いて、ハードディスクの肥やしになっていたもの。Blogの話を読みながら、何となく思い出した。ものすごく読みにくいけれど、覚え書きなので悪しからず。
Underconstruction by Taiyo@hatena
http://d.hatena.ne.jp/t_trace/20030513#1052827126
私が“米国式日記サイト”blogに注目する理由
http://itpro.nikkeibp.co.jp/free/ITPro/OPINION/20030511/1/
どう読んでも、単に「日々のよしなし事日記」と「ニュース紹介日記」を分ける言葉ができた、というだけに見えるのは気のせいかなあ。まあ、世の常として新しい言葉ができれば、新しいビジネスが生まれるのはいつものことですけどね。
上に関連して言えば、Blog/Web日記は「能動的受信」のためのメディアだ、というのが個人的な感想。自分の立ち位置を確認するのに、こんなにふさわしいメディアはないと思う。アウトプットを続けることで、インプットがどんどん研ぎ澄まされていく。Blogが既存のマスメディアを脅かしているとすれば、それは情報ソースとしてのBlogではなく、情報を相対化しようとするBloggerのマインドセットの方なんじゃないかなあ。