2015-07-15 GoogleSatTrackの公開から10年
§ GoogleSatTrack(GST)
10年前の今日、GoogleSatTrack(GST)というWebサイトが生まれました。
GoogleSatTrackはGoogle Map上で人工衛星を追跡するWebサービスです。ブラウザを開くと国際宇宙ステーション(ISS)の現在位置が表示されます。基本的にただそれだけのサイトです(実は他にも色々できますが、全部左上の見えづらい歯車アイコンの中に隠してあります)。
でも、ただそれだけのサイトが、ただそれだけになるまでにはずいぶん紆余曲折がありました。当時はよもや10年も続くとは思いもしなかったんですが...
§ そもそものはじまり
Google Mapsという画期的な地図サービスが発表されたのは2005年2月、Google Maps上で衛星写真が使えるようになったのが2005年4月です。今では当たり前のように使われていますが、発表された当初は衝撃的でした。これほど簡単に全球の衛星写真にアクセスできる方法はそれまでなかったんです。当時、衛星画像の地図をつつきながら宇宙から地上を見たらこんな感じかなあと思っていたのを覚えています。
そして2005年6月末にGoogle Maps APIというGoogle Mapsを外部からコントロールできるしくみが発表されました。もし、ISSの現在位置を地図上に表示できたら宇宙飛行士の気分が味わえるかもしれない。それがGSTを作り始めた最初のきっかけです。
天体の位置計算については、遊びでいじっていたので少し知っていました。人工衛星の位置は二行軌道要素(TLE)と呼ばれるデータから計算すれば出せる、というのは調べればすぐに分かりました。手元にあるものでできるのが分かれば、あとは隙間を埋めるだけです。
いまはネットがありますから、勉強するのもそんなにお金はかかりません。試すのもブラウザとテキストエディタでできますから、ただみたいなものです。必要なのは時間と根気だけ。時間は多少の寝不足と引き換えに、根気はもともと持ち合わせがないので勢いで乗り切ることにしました。
そうやってできたのが最初のバージョン。公開は2005年7月15日。画面はこんな感じでした(これは今のGoogle Mapsで再現した復刻版です。地図のコントロールなどの形が当時とは違います。また位置は正しくありません)。
ただ地図の上にGoogle Mapsのデフォルトのマーカーが置いてあるだけ。Google Maps APIのサンプルページと大差ありません。機能もページが読み込まれた時の位置を表示するだけで、位置の自動更新はしません。精度も悪く平気で位置が数百kmもズレたりしていました。今から思えばひどいできですが、でも当時の僕はこれを見て凄いと思いました。凄い、いまここにISSがいるんだ!
要するに、自分で自分の作ったものに感動したわけです。でも、それは最初にもくろんでいた「宇宙飛行士が見ているものが見られる」というのとはちょっと違うものでした。言ってみれば「ISSが今この瞬間にその場所にいる」という事実そのものに感動したんです。それはなんとも言えない高揚感を伴った、それでいてすうっと心の奥が透き通るような不思議な感覚でした。
これが直後に作ったバージョン2、公開は2005年07月29日。見た目はISSのアイコンを作ったくらいでほとんど変わりませんが、位置が自動更新されるようになっています。サーバ側でやっていた処理をブラウザ側で行うように書きなおして、放っておいても現在位置に追従するようになりました。これが今のGSTの原型です。
§ 迷走
そして、ここから迷走が始まります。色々細かい情報も表示させよう。今ISSにいるクルーのリストが出るといいかもしれない。ISSだけじゃなくて、いろいろな衛星を追いかけられるようにしよう。で、作ったのがバージョン2プラス。2005年8月3日公開です。
その後もコテコテといろいろな機能を付け加えます。見ている人とISSの距離や相対速度を出そうとしたこともありますし、衛星がどこからどの時間に見えるかという可視予測を組み込もうと思ったこともあります。新しい技術や知識を覚えて、とにかくそれを試してみたくて、思いつく限りの機能を突っ込みました。まあ、いかにも素人開発者がやらかしがちな失敗です^^;
なんだか凄そう!かっこいい!と思ったのもつかの間、すぐにつまらなくなりました。最初に自分のサイトを見た時の感動がどんどん薄れていくような気がしたんです。何かが違う、行きたい方向はこっちじゃない。そこではじめて、僕はこれが何なのかということを考え始めました。ここまではアイディアと技術的な興味だけで来た。でも、これは一体何だろう?
それが自分の中で形になり始めたのは2005年12月。GSTから派生したこの作品を作ってからです。
見ての通り、ISSの現在位置です。ただそれだけ。他に何もありません。これができたとき、これだ!と思ったのを覚えています。僕がやりたかったのはこれだ。
今も、迷うとここに戻ります。
ISSが今いる場所が強烈に喚起するものがある。僕たちは遠くのことを考えながら、その距離を思い、強烈に今いる場所や時間のことを意識する。GoogleSatTrackという作品は、まずなにより、そのためのツールであって欲しい。だから余計なものはいらない。
そこから僕は画面上から機能をなるべく隠す方へかじを切りました。ブラウザを開くとISSがいる。ただそれだけであることを目指すようになったのはここからです。
§ 海の向こうで
サイトの開設から約1年、2006年7月の段階でアクセス数は月4万5千PV。ぽつぽつと海外の掲示板やMLなんかで話題にしてもらえるようになったのはこの頃です。どうやら世界中の人が楽しんでくれているらしい。 英語だけじゃなくて、フランス語やドイツ語で誰かが自分の作品の話をしていたりすると、すごく嬉しくて、ちょっとくすぐったい感じがしたものです。
そして、ある日アクセスログからたどったある掲示板にこんなことが書いてありました。
ちょうど上をシャトルが通った時に、子どもたちに教えたら、 外へ飛び出して、 "ハロー、アストロノーツ!"っていいながら空に向かって手を振ったんだ。
このポストを見た瞬間、泣くかと思いました(いや、ちょっと泣いたかもしれません)。そう、そうだよ、僕は君たちのためにこのサイトを作ったんだ。世界のどこかで、あのページを見て空を眺めてくれた人がいる。もしかしたら、僕の作ったものを見て、世界のどこかで誰かが、 ほんの少し普段と違うことを考えてくれているのかもしれない。
ああ、届くんだ。そう思ったのを覚えています。届くんだ。よかった、間違ってなかった。これでいいんだ。
§ 昼夜境界線
2007年10月、GSTに正式に昼夜境界線を追加しました(β版のリリースは同年7月)。これはずっとやりたかったんですが、結局作りこむのにほぼ1年かかっています。当時のGoogle Maps API はかなり制限が多くて、それを回避するのにすごく苦労したのを覚えています。
昼夜境界線は、GSTに「今」を組み込むための試みです。GSTには時計がついていません。内部ではかなり強く時間に依存したアプリケーションですが、外には一切具体的な時刻は出てきません。それを表現するのはISSの動きと昼夜境界線だけです。時刻というのは特定の場所に紐付いた数字です。それを排除した上で、今を表現するにはどうしたらいいか?その答えが昼夜境界線でした。
GSTは世界中のだれが、どこで開いてもあの同じ画面が表示されます。これは、「今」「ここ」という感覚から喚起されるものは、見る人によって、あるいは見る時々によって違う、ということに気付いたからでした。そして、今という感覚は時刻という数字が喚起するものではないんです。重要なのは今何時か、ではなくそれが今起きていることだという感覚なんです。
GSTには時間や場所を喚起させるものは山ほど入っていますが、具体的な場所と時間は一つしかありません。それはISSが今いる場所です。それ以外のすべての場所はGSTを見ている人のものです。たとえば、昔旅行で行った場所、知り合いが住んでいる街、今朝ニュースで聞いた国、そして今いる場所。しばらく見ていると、そういう人それぞれの特別な場所の上をISSが通っていきます。そこは今、昼でしょうか?あるいは夜でしょうか?あるいはあなたが今いる場所はどうですか?
ISSというのは、世界のどこにも属さないちょっと特殊な場所です。僕にとってISSが今いる場所、というのはそういう抽象的な、世界中のありとあらゆる場所、ひいてはこの星の全体と自分をつないでくれる特別な場所です。そしてGSTはその「場所」を表示するサイトです。だから、それ以外のものを画面の外に追い出すことにしたんです。
§ 夏のフロリダとスペースシャトルの最後の夜
この2つの出来事は当時結構話題になったのでご存知の方も多いかもしれません。
CBS Newsの記者を名乗る人からコンタクトがあったのは2008年2月。彼らのリクエストに答え、大幅に性能を上げたバージョン3.0をリリースしたのが2008年3月6日でした。このバージョンで位置の精度が大幅にアップし、衛星の未来位置を表すグラウンドトラックと緯度経度線が表示されるようになりました。
その後、ここにフルスクリーン表示とISSから見た日の出日の入りまでのカウントダウンを後から加えて、見た目はほぼ現行のGSTと同じになります(その後内部のロジックを全面的に書き換えて、2015年7月の時点で動いているのはv4.0系列です)。
そして、彼らに誘われてSTS-124の打上げを見に行ったのが2008年05月。ここからの話は以前記事にしたので、ここで繰り返すのはやめておきます。今から思い返しても、夢の中のようなちょっと非現実的な経験でした。
ref. Garbage Collection(2008-05-23):嘘のような、本当の話
ref. Garbage Collection(2008-06-10):嘘のような、本当の話、続き
あんな冗談みたいな体験はもうあれっきり思っていた、それから3年後の夏、スペースシャトルの最後のフライトでまた信じられないようなことが起きました。これも以前ブログに詳しく書いたので、そちらを読んでもらったほうがいいかもしれません。
ref. Garbage Collection(2011-07-24):スペースシャトルの最後の夜に..
僕は、この一連の経験をするまで「アメリカンドリーム」という言葉があまり好きじゃありませんでした。それは、その言葉が主人公がライバルを蹴落としながら這い上がっていく物語だと思っていたからです。でも、それはその話のごく狭い一面でしかありません。むしろ、それは山の物とも海の物ともつかないものに対して、誰かが"Good job!"と親指を立てるところから始まる物語です。それは対価とか見返りみたいな概念とは切り離されたところで"Good job!"と"Thank you!"だけで繋がっていくどこまでも純粋で精妙な関係です。
いいね!おもしろいね!すごいね!僕はそういう声の連鎖の果てに起きた小さな奇跡を知っています。アメリカンドリームなんていうほど大げさなものではありませんが、確かに奇跡は起きました。世界は変わったりしませんでしたが、人生は変わりました。ほんの少しですけどね。
これが、僕があの夏フロリダで、そしてあの夜に小さなストリーミングの画面の中で学んだことです。
§ いま、ここ
さて、今、GoogleSatTrackには月平均10万PVほどのアクセスがあります(ISSのミッションの状況などでかなり変動します)。
これは2015年06月15日から2015年07月15日までのGoogleSatTrackへの国別アクセスです。ただ地図の上をISSのアイコンが動いていくだけのサイトに、約1ヵ月間で200を超える国と地域からアクセスがあります。
今、あのサイトにアクセスが途切れることはまずありません。あのサイトをあなたが見ている時、世界のどこかで、あなたと同じ画面を見て、高度400kmのあの場所に思いを馳せている人がいます。たぶん、住んでいる国も、話している言葉も、宗教も、文化も違う誰かです。たぶん、みんな、あのひょこひょこ動くアイコンを見ながら、遠くのことを考えています。
ね、すごいでしょう。僕はこの事実を思うたびに胸が一杯になるんです。僕たちはまだ遠くのことを考えていられる。だから大丈夫。なんとなくそんな気がします。
これがGSTという作品が10年かけて辿り着いた場所です。
そんなわけで、僕はこの10年ずっと遠くのことばかり考えてきました。もし、この作品を通じて、それがほんの少しでも誰かに伝わったのなら、それに勝る喜びはありません。これからもどうぞごひいきに。
星空を見上げるときの感慨。太古の人々や誰かさんに思いを馳せながら。それに匹敵する想いのチャネルですね。