2005-05-12
§ プラネタリウムを見た
ひょんなことから、名古屋でプラネタリウムを見る。「年間来場者数日本一」を誇る名古屋市科学館のプラネタリウム。ここの特徴はなんといっても「生解説」。解説員の方が操作をしながらリアルタイムで星空の解説をしてくれる(流れは決めてあるけれど、台本は一切ないそうな)。
その昔舞台関係の仕事をしていたこともあって、つい裏方の目で見てしまうので、純粋な観客としての評価ではないけれど、なにより「見ている人間の想いを邪魔しない絶妙な間」に感動する。見ている人を素人扱いせず、解説することと解説せずにお客さんにゆだねるところのバランス感覚が絶妙だった。
投影中、お客さんと解説員の方の直接のやり取りはまったくなかったけれど、「そうそう、インタラクティブってこういうことだよ」と思う。
「ボタンを押しました、はい何か動きました」なんていうのは、インタラクティブでもなんでもない。ユーザー興味や関心を引き出す、それをふくらます、それに答える。こういうプロセスの中で、コンテンツとその受け手は実に濃密な「会話」を交わしている。この「会話」のないものはインタラクティブとはいえない。この「会話」を支えているのは「言葉の選び方」とか「間」とか「距離感」といったどうにもあいまいなものだ。誤解を恐れずにいえば、実はユーザーがボタンを押せるかどうかは、そのコンテンツの「インタラクティブ性」とはまったく関係がない。
ユーザーからの物理的なインタラクションが一切ないごく普通のプラネタリウムが、並みの体感ゲームが束になってもかなわないようなインタラクティブ性を発揮することだってある。
あのプラネタリウムの中で、僕は50分間たっぷり星空と会話を楽しんだ。なかなか得がたい体験だと思う。