Garbage Collection


2003-07-15

[黒川] 建築はもっと思想とか情念とか、宇宙観であるとか、哲学であるとか、そういうものを込めて作っている。僕は名建築、古代の名建築なんか見たとき、それは何を意図してどういう思想がここに詰め込まれているのか、感じることができるわけでね。でも、それをPCと比較してもらったんじゃ迷惑だね。その歴史的な長さがまるで違う。

名建築にしか思想を読めないのか?おまいは?


ずぶの素人だって、プロダクトデザインの歴史が建築から始まってることぐらい知っているぞ。NotePCを開いた瞬間、ユーザーの手元には確かに「空間」が生まれている。その空間の中でユーザーがどう行動するかという「機能」と、見た目の「美しさ」を両立していく中には、確かに建築と同じロジックが働いているはずじゃないか。ThinkPadのデザインは、ずいぶん建築的だと思うけどねえ(当方TPs30ユーザー)。


PCのデザインを旧来の「機能的、機械的な建築」と対比して、自分の「共生的な建築」の考え方と重ねてみせるとか、もう少し自分を賢そうに見せる方法ならいくらでもあるだろうに・・・。ミースやコルビジェとThinkPadを並べて論じるくらいのことは、しれっとやっていただきたい。そういえば「住むための機械」って言ったのはコルビジェだったっけ。だとすると、Appleのiシリーズはさしずめポストモダンか。


PCの環境に空間のメタファーを引用することも出来ずに、ただ「操作」と切り捨ててしまっている時点で、視野の狭さがうかがえるってモノですな。