2002.9.17火
「どーん」
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先週末は地元の秋祭りだった。
神社の境内で「○○ばやし」みたいなのをやってた。うっ。下手。
リズムがばらばら〜。
でもそのおじちゃんおばちゃん達はリラックスして弾いていて、
やぐらの下には法被姿のノリノリ(死語)なガキがいたりして、
うんうん、町のお祭りやなあ、と微笑ましく見て過ぎる。
そのままぶらぶらとアーケード街へ。すると!
どぉぉおんどどんど、かっかかっかかっ、どぉぉおんどどんど!
ずぶっとい太鼓の大群!スーパーの前に止まったトラックの荷台で
十人くらいがぴたっと息のあったリズムを刻んでる。おんあつが〜〜。
肋骨にくる〜。うっとり。
そしてそこをめがけて後から後から御輿が集まってくる!すごい人混み。
おーざっつじゃぱにーずふぇすてぃばーる。どぉぉおんどどんど!
わくわくわくわく。
御輿はそれぞれ独特のかけ声とか笛のリズムを持っている。
トラック太鼓のところに来たら、お互いのリズムがぶつかって、
バトルっぽくなるのかなあ、と勝手に期待していた。
トラックのリズムと御輿のかけ声が絡み合って、より複雑なリズムに
なったりとかさ。
わくわく。
が。ジャパニーズサンバはシンプルなのねえ…。
トラックに合奏のように素直に御輿が合わせて盛り上がっておしまい。
バトルがなーい…。つまらん。
やはり日本人にウラの拍は無理なのか。
とはいうものの、茶髪、ドレッド、ゴールドの似合うこげこげ兄ちゃんや
姉ちゃんの法被姿はかっこよく、それを商店街のおじちゃんおばちゃんが
仕切って仲良く一緒の御輿をかついでる風景はなかなかいいものだった。
数年前はおじちゃんおばちゃんしかいなかった。今はほとんどが若い人。
楽しいねえ。御輿なんて参加型イベントの最たるものだもんね。
色んな外国物に憧れて、やっぱレゲエがとかクラブがとかソウルとか何とか
言っちゃって、わいわいと二十代前半を過ごして、ふと日本の音に戻って
くると、まー地味だけど悪くないじゃん、ということにふと気づく。
ウラの拍はないけれど。バトルもないけれど。
今更日本モノなんてって言っちゃもったいない、こげ兄ちゃんや姉ちゃんは
そう思ったのかもしれない。彼らはシンプルに楽しんでた。
いい耳が育ってきたのかも。嬉しくなった。
来年はかついでみるか?
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BGM:SoulBossaTrio
2002.9.2月
「おっとー」
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8月二回しか更新しなかったよう。
でもまあ、相方も似たような更新頻度だからいいか(よくない)。
最近は収録・英語・昼寝・昼寝・昼寝、というまあ相変わらずの生活。
またピアノネタで恐縮なのですが。
昨日NHKの「芸術劇場」で、小曽根真さんの特集をやっていた。
彼は超有名なジャズの人だが、ここ六年程思うところあってクラシックに
積極的に取り組んでるのだそうだ。
「クラシックを弾くことが自分のジャズを変える」と。
しかしこうやって聴いてみるとジャズピアノとクラシックピアノは思った
以上に違うものなんですね。
そりゃー、曲も奏法も全然違うんだから当たり前だが。
クラシックのピアノ曲は、オーケストラの色んなパートを全て一人で弾く
ようなものだ。例えば左手がリズムを刻み、右手の薬指と小指で主旋律が
歌い、親指から中指はハーモニーを出す、というように。
でも小曽根さんの弾くクラシックは、左右の音がほとんど変わらなかった。
音に深み、厚みがなく、音色のバリエーションがない。
正直言って、つまらない。というか、弾けてない。
が、彼がジャズを弾くと!
タイトなリズム、複雑でかっこいいハーモニー、そして何よりも息が長い!
感情が途切れず薄まらず、渦潮のように音の中に流れ込んでいく。
見事な即興。ただ口を開けて聴いているしかない。
ジャズのピアノって、打楽器なんですね。極端を言ってしまえば。多分。
そして「表現をすること」が大切なようだ。
小曽根さんは「ジャズもクラシックも、感情を表現することという点で同じだ」
というようなことを言ってたし。
え、でも、ちょっと待って。
ジャズの即興とクラシックの感情表現って、同じ?
以下、私見。
クラシックピアノは自分の感情表現よりもまず「その曲が表現していること」
が先に来ると思う。
譜面を読み、弾いてみる。コツは、最初から両手で弾くこと。
ハエが止まるようなのろさでも、とにかく両手で弾く。それを延々繰り返す。
そのうち、ポン、と栓が抜けるように、メロディーやハーモニーの流れが
見える。説明なんかなくても、「この一音がどういう風に響きたがってるか」
わかるはずなのだ。
小さく、大きく、鋭く、柔らかく、なめらかに、堂々と、etc。
そこには音と音が作り出す時間の流れがあるだけ。
もちろん感情は必要だ。芝居で台詞を言うみたいなもの。ある台詞に魂を
込めるのに、自分の中で過去の感情を再現する。その感情のこもった台詞から
新たに現在進行形の感情が生まれて、複雑に絡み合っていく。
でも自分の感情が先にあるわけじゃない。
こういう作業を「ジャズと同じように感情を表現する」と言ってよいのだろうか?
ちなみに小曽根さんは「ラプソディー・イン・ブルー」オーケストラバージョン
も弾いてました。
はっはっは(ノーコメント)。
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BGM:Fairground attraction
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