2017-12-20 北朝鮮の「静止衛星」の飛翔経路予測
§ もし北朝鮮の打ち上げが本当に静止衛星だったとしたら?
各種のメディアの報道や関係者の談話などから、北朝鮮が100kgの「地球観測衛星」と1tの「静止衛星」の打ち上げを準備しているらしいという噂が流れています。
現時点(2017年12月)では詳細は全く分かりませんが、「地球観測衛星」の方は基本的にこれまでと同じと考えていいでしょう。問題は北朝鮮としては新機軸となる「静止衛星」です。もし、北朝鮮が静止衛星を打ち上げるとしたら、どのような飛翔経路を取ることになるのか?そもそも、どれほど現実味がある話なのか?日本政府がこれまでと同様の対応を取るとしたら、公式には"北朝鮮による「人工衛星」と称するミサイルの発射"ということになり、人工衛星の打上げとして扱われない可能性が高いですが、例のごとく本項ではあえて「静止衛星の打上げだったとしたら」という仮定のもとに分析をしてみたいと思います。
なお、2012年、2016年に行われた北朝鮮の人工衛星の打ち上げ、また今後打ち上げられる「地球観測衛星」の打ち上げについても下記のエントリが参考になると思います。一部の内容は本稿にも転載し、さらに加筆しています。
※以下、図版はクリックすると大きい画像が開きます。
§ 衛星打ち上げと弾道ミサイル(再掲)
よく勘違いされる部分なので、過去のエントリから人工衛星打ち上げと弾道ミサイルの違いについての記述を転載しておきます。
人工衛星というのは、狙った高度で地球を周回するのに必要な速度を出すのが最終目的。つまり地面と水平方向の速度をいかに出すかが問題になります。今回の高度500kmでは秒速7.5kmほどです。逆に弾道ミサイルは文字通り弾道軌道、弓なりの軌道を取って、なるべく真上からターゲットを狙います。これはそのほうがずっと少ないエネルギーで正確に標的を狙うことができるからです。
衛星を打ち上げることができれば世界中どこへでもミサイルを落とせるんじゃないかという気もしますが、さにあらず。逆に地球周回軌道に乗せてしまうと今度は落とすために逆噴射が必要です。また地球の大気に浅い角度で突入するため落下地点の予測が難しくなります。ミサイルというのはターゲットのなるべく近くに落ちてこなければならないので、水平方向の速度は命中精度を上げるという意味では邪魔になるんです。
ちょっと大げさに両者の軌道を描くとこんな感じになります。赤が衛星の打ち上げ、青が弾道ミサイルの軌道です*1。
ちなみに、弾道ミサイル実験で話題になった到達高度4500kmのロフテッド軌道だとこんな感じです。
基本的に弾道ミサイルはブーストフェイズと呼ばれる上昇時に殆どの燃料を使って短時間で速度を上げ、確実に目標に当てるためのわずかな軌道修正を除けば、残りはほとんど惰性で飛びます。これが「弾道」ミサイルと呼ばれる所以。誤解を恐れずに言えば、弾道ミサイルは銃身の無い巨大な大砲と同じです。逆に衛星打ち上げロケットは高度を上げることよりもむしろ、対地速度を上げる方にエネルギーを使います。大雑把に言えば、弾道ミサイルは上に、ロケットは横に飛ぶんです。
打ち上げられたロケットをしばらく監視していれば、人工衛星の打ち上げなのか弾道ミサイルの実験なのかは飛翔経路で見分けることができるはずです。逆にいえば、打ち上げ直後の数分間にどちらなのかを判別するのは難しいかもしれません。安全側で考えるならば、打ち上げに際してはミサイルだと仮定して対処することになるはずです(つまり衛星の打ち上げでもJアラートが出る可能性があります)。
飛翔経路という意味では似て非なるものですが、北朝鮮が行おうとしていることがミサイル実験なのか衛星打ち上げ(ロケット)なのかという議論にはあまり意味はありません。たとえば、観測ロケットなどは衛星軌道には乗らず、弾道ミサイルと同じように弾道軌道を描いて地上に落ちてきます。また、普段衛星を乗せて飛ばしているロケットを弾道軌道で打ち上げることも技術的には難しくありません。また、弾道ミサイルを改良して作られた衛星打ち上げロケットもたくさんあります。たとえば、国際宇宙ステーションに宇宙飛行士を運んでいるソユーズ・ロケットはR-7というソビエト時代の大陸間弾道ミサイルの派生型です。他にもロシアの衛星打ち上げロケットであるプロトン、米国のアトラスやデルタ、欧州のアリアン、中国の長征なども、元を辿れば出自は弾道ミサイルです。
少々乱暴な言い方をすれば、ペイロードが何かを除けばミサイルとロケットは実質的に同じものです。「事実上の長距離弾道ミサイル」「衛星打ち上げを隠れ蓑にしたミサイル実験」というのは、あらゆるロケットの打ち上げに当てはまるレッテルです。後述しますが、北朝鮮はこれまでの経緯から、たとえ衛星の打ち上げだったとしても安保理決議違反であり、国際的に非難されて然るべき立場にいます。打ち上げの是非という意味では、ロケットなのかミサイルなのかは関係ありません。いずれにせよ、ダメなものはダメです。
*1 ここでは、地球周回軌道と比較するために最大高度1500km、射程3000kmと仮定して経路を描いています。実際には新型の火星15号は射程1万3000kmともいわれています。
§ これまでの打上げ
北朝鮮は、これまで衛星の打ち上げと思しき実験を5回行い、直近の2回でペイロードの軌道投入に成功しています。
日時 | 打上げロケット | ペイロード | 射場 | 打上げ方位 | 軌道投入 |
1998年8月31日 | 白頭山1号 | 光明星1号 | 東海衛星発射場(舞水端里) | 東 | 失敗 |
2009年4月5日 | 銀河2号 | 光明星2号 | 東海衛星発射場(舞水端里) | 東 | 失敗 |
2012年4月13日 | 銀河3号 | 光明星3号1号機 | 西海衛星発射場(東倉里) | 南 | 失敗 |
2012年12月12日 | 銀河3号 | 光明星3号2号機 | 西海衛星発射場(東倉里) | 南 | 成功(太陽同期軌道) |
2016年2月7日 | 銀河3号? | 光明星4号 | 西海衛星発射場(東倉里) | 南 | 成功 (太陽同期軌道) |
北朝鮮は2012年と2016年に衛星の打ち上げを成功させていますが、この2回はいずれも両極上空を通る極軌道への打上げでした。今回は「静止衛星」、つまり赤道上空の3万6000kmの円軌道への打上げという予告ですから、取りうる飛翔経路も打上げ後の運用も全く異なります。
以下に防衛白書から、1998年8月、2009年4月、2012年12月、2016年2月の実験についての図表を転載します*1
*1 2012年4月の実験は打ち上げ直後に爆発しているため、経路の図示はありません
§ 射場
北朝鮮は1998年、2009年の打上げを舞水端里(ムスダン)の東海(トンヘ)衛星発射場から行いました。こちらは北朝鮮の東側、日本海に面し、東向きに打ち上げるのに適した射場です。一方、極軌道に打上げた2012年、2016年の打上げでは東倉里(トンチャンニ)の西海(ソへ)衛星発射場が使われました。こちらは黄海に面し、南側が開けた極軌道への打上げに適した射場です。
現時点(2017年12月)では、東海衛星発射場では人工衛星の打ち上げ準備と思しき活動は行われておらず、西海衛星発射場で新型エンジンの実験や新たな建設などが行われているようです。
静止軌道への打上げならば、本来は飛翔経路が国内上空を通らない東海衛星発射場のほうが適しています。ただ、この間打上げを行っている西海衛星発射場のほうが施設は充実しているはずですから、安全性を多少犠牲にしても、コストや利便性の面でこちらを使うメリットは大きいかもしれません(たとえば、中国やロシアなども内陸に射場を持ち、ここから打上げられるロケットは自国内上空を通ります)。
§ 打上げ方位角
一般的に静止軌道に衛星を上げる場合、真東に上げるのが最も効率が良くなります。これには大きく2つの理由があります。ひとつは、地球の自転を最も効率良く使えるということ、もう一つは、打上げ後、静止軌道へ投入するための軌道修正が最小限で済むからです。
北朝鮮は1998年の光明星1号、2009年の光明星2号でこの飛翔経路で打ち上げを行っています。ただし、この過去の2回の打ち上げが静止衛星のテストだったのか、単に人工衛星のテストであったかどうかは、いずれも衛星の軌道投入に失敗しているために判断がつきません。もし今回北朝鮮が静止軌道への打ち上げを試みるとすれば、この2回と似たような飛翔経路をとる可能性が高いと思います。
北朝鮮から静止衛星を打ち上げる場合、同様に比較的高緯度から静止衛星の打ち上げをやっている国の例が参考になります。代表的な国は日本です。
日本の静止衛星打ち上げは種子島から行われていますが、種子島宇宙センターの緯度は約30度。これは種子島宇宙センターから真東に衛星を打ち上げると、軌道が赤道から30度傾くことを意味します(軌道傾斜角30度)。これが緯度30度から打ち上げる時に、軌道の傾斜が最小になる打上げ方です。もし打上げの方位角を真東からずらすと、その分だけ軌道の傾きが大きくなります。北朝鮮の西海衛星発射場は緯度39度、東海衛星発射場が緯度40度。つまり取りうる最小の軌道傾斜角はいずれも40度前後ということになります。
静止軌道は軌道の傾斜がゼロですから、種子島や北朝鮮などの高緯度からの打ち上げの場合、この軌道の傾斜をゼロにするための軌道修正が必要になります。もし真東以外の向きに打ち上げれば、軌道の傾斜が大きくなりますから、その分だけ後の軌道修正で余計な燃料が必要になります。何か理由がなければ、静止軌道への打ち上げを真東以外に行うことは考えにくいでしょう。
もし北朝鮮からの打上げに「何か理由」があるとすれば、北朝鮮から真東にロケットを上げると飛翔経路が日本の東北上空を通過してしまうことです(下図赤のライン)。ロケットの打ち上げでは、万が一の失敗に備えて打ち上げ初期段階で人口密集地の上空を通過するコースを避けるというセオリーがあります。このセオリーに乗っ取るなら、ほんの少し北向きに打上げて津軽海峡上空を通すかもしれません(下図青のライン)。北朝鮮から東向きにロケットを打上げて、飛翔経路沿いの国(=日本)に最大限配慮するなら、ほぼこのルートしかありません。
こうした"衛星打ち上げ国なら当然行うべき配慮"を北朝鮮が行うかどうかについては、衛星打ち上げを行うという時点ですでに国際的な約束を盛大にぶっちぎっているので、あまり期待はできないかもしれません。ただ一方で、1998年、2009年の打上げは飛翔経路が津軽海峡の上空を抜けており、このコースを取ろうとしたとも取れます*1。また、2012年、2016年の極軌道への打ち上げでは中国沿岸部を避けてから飛翔経路を曲げる"ドッグレッグ"を行っていました。北朝鮮は人工衛星の打ち上げでは、技術的にできうる配慮はしているようにも見えます。
このルートの最大の問題は、打ち上げ直後にハワイと米国本土の間を通ることです。米国に接近する頃にはすでに軌道に乗っていますから、一般的な打ち上げであれば何ら問題になる部分ではありません。ただ、国連決議を破っての打ち上げであること、この間弾道ミサイルの実験などで米国を挑発していることなどを考えると、かなり大きな問題になる可能性があります。
先にも述べたように、衛星打ち上げロケットと弾道ミサイルはほぼ同じものですから、北朝鮮にとっては「政治的な効果」はこれまでの極軌道への打ち上げとは比較にならないほど大きくなります。逆に言えば、米国からの強い反発(場合によっては実力行使を含む)が起きる可能性も高いということになります。北朝鮮にとっては、政治的利用価値の高いコースとも言えますが、逆に米国への刺激を最小限に抑えるために「最も効率のいい」真東に打ち上げて日本の東北上空を通す、という選択もありえるかもしれません。
*1 衛星打ち上げではありませんが、2017年の弾道ミサイル実験でもこのルートを取っています
§ 打上げ後の軌道修正
北朝鮮が静止軌道へ衛星を投入するとしたら、最大のハードルはむしろ軌道投入後です。北朝鮮からの打ち上げにかぎらず、静止軌道への軌道投入、特に高緯度からの静止軌道への投入は、ロケットのみで目標の軌道に乗せることは極めて困難です。そのため、通常、静止衛星は打上げ後に複数回の軌道修正を行って目標軌道へ投入されます。
こちらも日本からの打上げ、気象衛星ひまわりの軌道を例に取りましょう。
これは、ひまわり8号が静止軌道に入るまでの軌道修正を図示したものです(実際にはもっと細かい修正を行います)。ここでは3回に分けて軌道が徐々に円に近づき、また軌道の傾斜がゼロに、つまり赤道に近づいていっているのが分かるでしょうか?
この場合、地球に最も近づく点(近地点)Aの高度を上げるためには、地球から最も遠い点(遠地点)Bで加速しなければなりません。また、軌道の傾斜を変えるのにも、目標の軌道と接するBの位置で修正を行うことになります。つまり、打上げロケットを使って長楕円の初期軌道に上げ、上段や衛星本体のスラスタを使って複数回に分けてB地点で噴射を行い、円軌道かつ軌道傾斜角ゼロに近づけていくというのが静止衛星の軌道投入の一般的なやり方です。
これには、切り離された衛星の軌道を確認し、衛星と相互の通信を行い、適切な姿勢を取らせて、適切なタイミングで、適切な量の噴射を行う必要があります。しかし、北朝鮮にはこうした衛星運用の経験がありません。
北朝鮮はこれまで人工衛星の軌道投入に2回成功していますが、いずれも打上げ後に衛星がコントロールされていた形跡がありません。衛星は軌道に乗ったものの、電波を発信している形跡がありませんし、また地上からの観測で姿勢制御されておらず、不規則な回転をしていることが分かっています。北朝鮮は衛星を軌道に投入することには成功したものの、いずれも意図したとおりには動作していないと考えるのが妥当でしょう。
これは、北朝鮮は地上局-衛星間で通信したこともなければ、衛星の姿勢制御を行ったこともなく、衛星の軌道修正を行ったこともない、ということを意味します。これらは、静止衛星を打ち上げるには必須の技術です。加えて、北朝鮮は、おそらく自国外に衛星との通信ができる設備を持っていません。このような状況で静止軌道に衛星を投入するのは極めて高いハードルだといえるでしょう。
ただし、ハードルが高い事は技術的に不可能であることを意味しません。それを言えば、2012年の「初の軌道投入で飛翔経路を途中で変更しての太陽同期軌道への投入」も相当高いハードルでしたが、北朝鮮の技術陣はこれを成功させています。またこの時に軌道を変更する技術を取得していますから、これまで成功したことはないが、ポテンシャルは十分にあると言ってもいいかもしれません。
§ 実験の是非(再掲)
最後に、2012年のエントリに書いたことの繰り返しになりますが、北朝鮮の衛星打ち上げの是非について私見を述べておきます。
国連は、これまで何度か行われてきた北朝鮮のミサイル実験に対して国連安保理決議を採択し、再三に渡って北朝鮮に対してミサイル関連技術の放棄を要請してきました。これには人工衛星の打ち上げも含まれます。飛翔体のペイロードが何であるかは関係ありません。たとえ人工衛星の打ち上げであったとしても安保理決議違反であることは明白です。
たとえ一国で独自に開発を行なっていたとしても、ロケットの打ち上げは、実験の失敗、ブースターや衛星本体の落下などで他国に影響を及ぼす可能性があります。また、軌道上の物体は衝突などを避けるために常に監視され、能動的な軌道離脱や軌道の変更が頻繁に行われています。つまり、宇宙空間はすでに人類の共有財産として維持管理されている場所です。そのような場所を利用するにあたって、国際社会において果たすべき義務や責任を負わずに打ち上げを強行するのは非難されてしかるべきだと思います。
実験の失敗は望みませんが、成功しても祝福はしません。北朝鮮が今回の実験を中止し、将来国際的な信頼を取り戻した上で、宇宙開発の場に戻ってくることを願います。
§ Reference
- 北朝鮮 ICBM・静止衛星の発射間近=朝鮮総連機関紙 : 聯合ニュース(2017-04-10)
- North Korea’s Sohae Satellite Launching Station: Construction Activity Continues at Launch Pad : 38 North: Informed Analysis of North Korea(2017-06-17)
- 事実上の長距離弾道ミサイル発射準備を示唆か NHKニュース(2017-12-18)
- Defense Internet NOTAM Service ICAO ID=ZKKP (PYONGYANG)
2017-12-07 世界を変えた小さな本の話
§ 『WIRED CREATIVE HACK AWARD 2017』#世界を変えたハック
アルドゥス(アルダス)・マヌティウスの小型本。マヌティウスは写本の精巧なコピーでしかなかったグーテンベルクの印刷本をハックして、細く小さな活字を使えば本を小型化できること、ページが毎回固定されていればページ番号が振れることに気づいて、現在の本の原型を作った。#世界を変えたハック
— isana (@lizard_isana) September 25, 2017
Twitterで、面白そうなハッシュタグを見つけたので、こういうTweetをしたら、後日このTweetが『WIRED CREATIVE HACK AWARD 2017』の「ベストハックツイート」に選ばれたというご連絡をいただいた(ありがとうございます!)。でも、これがなぜ、どうやって世界を変えたのかについては、とても140字では書ききれない。せっかくなので、世界を変えた小さな本の話をしておこう。CREATIVE HACK AWARDのコピーを借りるなら、アルダス・マヌティウスと黎明期の印刷業者たちは「なにを、なぜ、いかにハックしたのか」そして、その結果、世界はどう変わったのかについて*1。
ref. WIRED CREATIVE HACK AWARD https://hack.wired.jp/
*1 この文章は「活版印刷の登場とその影響」についておいしいところをつまみ食いしながら大雑把にまとめたものになっていて、あちこちぼやかして書いてあることからも分かるように、歴史学的な厳密性はあまりない。興味を持たれた向きは、ぜひ参考文献を始めとしたちゃんとした研究書を参照のこと。すごく面白いよ。
§ グーテンベルグの作った「本」
確かに、ヨハネス・グーテンベルクの金属活字を使った印刷術は革命的な技術だったけれど、その技術が人々の体験を変えるには少し時間がかかったし(100年くらい)、人々の意識を変えるにはさらに時間がかかった(200年~300年くらい)。実際のところ、グーテンベルグの「四十二行聖書」は、当時流通していた手写本や木版印刷とほとんど見分けがつかない。グーテンベルグは、金属活字を作ることで何か新しいメディアを作ろうとしたわけじゃなくて、当時の「本」の精巧なコピーを安価に大量に作ろうとしていた。
グーテンベルグの聖書は、たくさん装飾が施されていて、豪華で美しいけれど、すごく大きくて(30.7x44.5cm、A3サイズより一回り大きい)、重い(約6.4kg)。もちろん、これは我々が今の小さくてシンプルな「本」を知っているからそう見えるだけで、当時「本」というのはそういうものだった。人の手で書き写されていたから、文字は大きくならざるを得なかったし、必然的に本のサイズも大きくなった。もちろんとても高価で、その値段に見合うような豪華で美しい装丁が施されていた。そして本は台の上に鎖で止められ、基本的には立った姿勢で朗読するものだった。グーテンベルグが作ろうとしたのは、そういう「本」だ。
§ 印刷業者たちの競争
黎明期の印刷者は、グーテンベルグと同じように、自分たちが作る本を良質の手写本と同じにしようとした。彼らは手写本と同じ字体、同じ連字や略字を使い、ページを同じようにレイアウトした。当初、活版印刷に求められていたのは、これまでの手写本を効率よく安価に作れる手段だった。
やがて、印刷技術が浸透し始め、本が大量に"生産"されるようになると、同業者同士の熾烈な競争が起きた。その競争の中で、印刷業者たちは、新しい技術を使えば、本に新しい機能を追加できることに気づき始める。タイトルページ、奥付、ページ番号、欄外見出し、脚注、目次、索引、上付き数字、文献リスト... こうした現在の書物に当たり前に見られる多くのテクニックは、この競争の中で生まれ、洗練されてきたものだ。この時代、印刷業者たちは自分たちの商品が他の印刷業者のものに比べて、いかに美しいかだけでなく、いかに読みやすくて便利であるかを盛んに宣伝した。
そんな印刷業者の一人、アルドゥス・マヌティウス(アルド・マヌーツィオ)*1。彼が気づいたのは「本はもっと小さくできる」ということだった。彼は、手写本を模したページ欄外の注釈をやめて、細く小さな活字(現在のイタリック体はそのために彼が作った書体だ)と薄い紙を使って、小さくて持ち運べる小型の本を作った。そして、各ページに番号を振り、索引を付けた。これは数多いる印刷業者の小さな工夫(ハック)の一つでしかなかったし、小型本もページ番号も(おそらく)彼の発明ではない。けれど、彼が当時の技術を組み合わせて作ったその新しい「本」のカタチは、少し大げさに言えば、人のものの考え方を根本から変えてしまった。
*1 「アルドゥス・マヌティウス」はラテン語読み、「アルド・マヌーツィオ」は彼の母国語であるイタリア語読み。本来ならイタリア語読みで表記するのが正しいかもしれないけれど、うっかりラテン語読みでTweetしてしまったので、こちらで統一する。ちなみに、Adobeに買われる前にPageMaker(DTPソフト)を作っていたアルダス社は彼の名前に由来する。
§ 個人が本を持つということ
まず、本が個人で持てるようになった。これはすごいことだった。それまで、本を読むというのは、本を声に出して朗読することであり、その朗読を聞くことだった。つまり、読書は集団に属する体験だった。それが、本が小さくなったことで、読書は個人に属する体験になった。そして師が書物を朗読し、それを弟子たちが一字一字写し取り、それに注釈や解釈を加えることが学問の大半を占めていた時代から、個人が多くの本を目の前にして、それらを比較し、相互参照する時代が来た。学生は書物を筆写するという苦行から開放され、沢山本を読む、沢山の思想に触れる(その時代の学問の流行を読む)、その中から自分の考えをおこしていく、というのが学問の標準的なスタイルになった。この学問のスタイルの変化は、やがて知の体系化を生むことになる。体系化された知としての"思想"や、その時代全体の雰囲気を写し取る"流行"という概念は印刷技術以降のものだ。
そして、本は"黙読"されるようになった。確かにごく一部で中世以前から黙読は行われていたけれど、それは極めて特殊な技術だった。例えば、アウグスティヌスの『告白』には、アンブロシウスという僧侶が「声を出さずに」本を読んでいる様子が奇異なものとして描かれている。しかし、印刷革命以後、黙読は徐々に一般的なものになっていった。
それまで、声に出して読むことが前提だった本の内容は、直線的に読まれることが前提で、韻文が多用され、繰り返しの多い、今でいえば詩的な文章だった(当時は文章というのはそういうものだった)。それが、本を個人が所有するようになり、繰り返し読むことが当たり前になったことで、一冊の本の中で、あるいは異なる本の間で行きつ戻りつつ読むことが当然のように行われるようになった。その結果、学術関係のテキストは、きわめて論理的で、分析的になった。
さらに、大量に流通した小さな本とそれを黙読する習慣によって"独学"が可能になった。もはや学生は何かを学ぶのに必ずしも師を必要としない。また、写本時代において、学問とは主に会話によっておこなわれるもので、テキストはあくまでその補助的手段に過ぎなかったけれど、複数の書物を個人が所有するようになったことで、それが逆転した。以降、学問は書物を中心にして行われるようになる。学者は書物から学び、書物を著すために研究を行うようになった。
文学の世界では、本が学者や一部の貴族だけのものではなくなり、印刷業者たちがそこに新たな市場を見出したことで、次第に読むことが個人の娯楽として定着していった。印刷物に彼らが慣れ親しんだ俗語が使用されるようになり、さらに黙読の普及とともに、韻文による声に出されることを前提とした戯曲や詩ではなく、散文による小説が普及していく。現代的な意味での小説の登場と印刷技術の普及は切り離して考えることはできない*1。
さらに、その地方で一般的に使われている俗語による書籍の大量流通は、その標準化を促し、やがて英語やドイツ語、フランス語といったその地方ごとの"国語"を産んでいく。一方で、それまで学者や貴族によって使われ、ヨーロッパでの共通語として機能していたラテン語は徐々に駆逐されていった。
*1 ちなみに、日本では同じことが明治期にわずか数十年というスパンで起きた。言文一致体と小説という新しい文芸ジャンルの登場は、明治期に導入された活版印刷と、それによってもたらされた"黙読"という新しい習慣の影響を受けていると考える専門家は少なくない。
§ 同じ本がたくさんあるという状況が産んだもの
まったく同じ内容の本が大量に存在するという状況は、単に多くの人々の手に多くの本が渡ったという以上の意味を持っている。それは、あなたの持っている本と私の持っている本がまったく同じだということだ。これは我々にとってはあたりまえのことだけれど、手写本はそうではなかった。
手写本には同じ物は一冊としてない。確かに内容的にはほぼ同じ物だけれど、ときには本文を上回る量の注釈が施された「本」は事実上一冊一冊が異なる書物だった。また、本を写す際、ひとりの人間が原本を読み上げ、それを何人かが書き留めるというかたちでコピーが行われていたため、単語の欠落や同音異義語の間違いなどが多く、しかも当然のことながら間違いの箇所も一冊一冊違っていた(手写本時代には正誤表は存在しない)。さらに、ある一つの作品の二つの手写本は、たとえそれが同じ口述を書き留めたものでも、それぞれのページが一致することはほとんどなかった。
「◯◯ページ、××行目」という形で本の中の特定の箇所が指定でき、そこに間違いなく手元の本と同じ内容が書かれていることが保証されるようになったのは、印刷技術以降のことだ。マヌティウスが、自らの商品にページ番号と索引を採用したことは慧眼と言っていい。それは当時最先端の技術だった。手写本時代にも索引や目次を付ける試みはわずかながら行われてはいたけれど、手写本のページ割りが一冊一冊異なっていたため、実際に使えるものになるには活版印刷の出現を待たなければならなかった。索引や目次が登場したことで書物の中に収められた情報にアクセスすることが飛躍的に効率的になった。
さらに、辞書が登場する。写本時代にも辞書に類するものはあるにはあったけれど、個人編纂の域を出なかったし、版を重ねながら内容をアップデートしていく、という現在の辞書編纂でごく普通に行われているやりかたは不可能に近かった。活版印刷技術によって生まれた標準的な辞書の存在が、文芸や学問の世界において語彙の拡大と標準化という意味で果たした役割は計り知れない。
§ "著者"と"読者"の誕生
実は、1冊の完成された本という概念は、印刷技術以降のものだ。それ以前は、本というのは、写字生の手によって書き写されながら、新しい内容を書き加えられたり、注釈を付記され続けながら育っていくものだった。そして、本を読むことは、それを朗読するのを聞くことであり、それを書き写すことであり、そこにコメントを加えることだった。そこには、本文を書く人とコメントを書く人のあいだに明確な切り分けはなかった。しかし印刷文化が浸透してきたことで、完成した書物という概念が生まれ、一人の著者と数多くの読者という図式が現れた。
その中で大きな役割を果たしたものの一つが表題紙(タイトルページ)だった。書籍にタイトルを付け、著者名を記すようになったのも、印刷業者の工夫の一つだった。例えばアレクサンドリアのプトレマイオス図書館は、タイトルや著者名ではなくテキストの書き始めの単語ないし語句で目録を取っている。中世になっても、書物に対して適切な書名や著者名を与えるということにはあまり関心が示されなかった。そのために、異なる人物によって書かれた文章が区別されることなく一つの写本の中に入れられてしまうことがしばしば起こった。
表題紙は、もともとは写字生が写本の一番最後に自分の名前、筆写の完了日、感謝の言葉等を書きこんでいたことに習って、本文を保護するために置かれた冒頭の白紙のページに印刷業者が会社の名前や、紋章、住所などを置いたのが始まだった。やがてそこに、本の内容や売り文句、著者の名前などが書かれるようになる。このような標題紙に頻繁に触れることは、書物を書くものにとっても読むものにとっても、著者というものの存在を強く印象づけたはずだ。
さらに言えば、当時の印刷業者たちが本というメディアに付け加えた目次、索引、ページ番号などの新たな機能も、本が完結した情報のパッケージであることを強く意識させるものだった。そうした意識の変化は著者と読者という関係を更に強化することになった。そして、この本というメディアが流動的なものではなく、1つの完結したパッケージであり、固定された著者がいるという概念は、やがて著作権という新たな権利の発生を促すことになる。
§ 情報の永続性
ものとしての耐久性という意味では、新たに登場したコンパクトな本は、羊皮紙で作られた旧来の大型の本に到底かなわなかった。本は書棚に半永久的に保管されるものから、持ち運ばれ、繰り返し読まれ、摩滅し、破損し、やがて廃棄されるものに変わった。ある意味で活版印刷によって本は消耗品になったといえる。
しかし、同じ内容の本が大量に流通することで、本の中身――情報は、むしろ永続性を獲得した。流通量が限られ、註釈などを含めて一冊一冊が異なる内容だった写本は、一冊が失われることはともすればその内容に二度とアクセスできなくなることを意味した。アレクサンドリア図書館の火事でどれほどの文書が失われたかを考えれば、本の大量流通によって情報が永続化したことが、いかにその後の思想、科学、文化を支えたかは想像に難くない。
§ 世界を変えたハック
さて、きりがないのでこれくらいにしておこう。こうやって、印刷され、小さくなった本は世界を変えた。
繰り返しになるけれど、これらの業績をすべてアルドゥス・マヌティウス一人の功績に帰することはできない。彼は印刷文化が浸透していき、世界を変える流れのある結節点にいた。それは印刷革命をグーテンベルグ一人に帰することができないのと同じだ。でも、彼と彼の同時代の印刷業者たちが積み重ねた小さなハックが、我々の思考そのものを根本から変えたことは間違いない。おそらく、彼らはそれが起きうることを知らなかった。そして、その新しい小さな「本」を(文字通り)手に取った中世の読者たちもそのことに気づいていなかったはずだ。革命というのは、ある朝突然にではなく、往々にしてそうやって、徐々に誰も気づかないうちに起きる。
翻って、我々を取り巻くメディアの環境を省みるに...と続けたいところだけれど、やめておく。今何が起きているかは、誰にもわからない。意識されないことがこの革命の本質だからだ。おそらく、革命はもうすでに、あるいは今も起きていて、我々の意識は変化の途上にある。
ただ、本が小さくなり、誰もが同じ本を手に取れるようになっただけで、世界はこれだけ変わった。そのことを頭の隅に置いておくのは、多分悪いことじゃないはずだ。
Happy Hacking!
2016-07-07 アクセス数についての技術的な話と情緒的な話
§ はじめに
まずは御礼を。Jono JOI Realtime Simulation には7月5日の木星軌道投入の当日だけで133の国と地域から約4万PVのアクセスがありました。こんなに沢山の人に見て頂けたのは身に余る光栄です。ありがとうございます。楽しんで頂けたのなら良いのですが...
さて、そのアクセスログを眺めながら考えたことを少し。
§ ページビュー(PV)
ある時期から、自分のサイトのPVを気にするようになった。作品には広告などは入れない方針なので、アクセスを増やすことにはさほど興味はない。でもアクセス数はけっこう気になる。一つは、純粋に技術的な問題で、サーバの転送量に制限があるから。もう一つは情緒的な問題で、自分の作品がどれくらいの人に受け入れられているのかを知りたいから。
§ 技術的な話
技術面は、かなり差し迫った問題。Junoのシミュレータは1アクセスあたりの転送量が5MBほどある。計算や表示は全てブラウザ側でやっていて、サーバには静的なファイルが置いてあるだけだから、問題は転送量だけ。とはいえ4万PVで転送量は170GBになる。借りているサーバ*1には一時的に転送量の上限を緩和する機能が付いているけれど、この数字は通常の上限の2倍を超えている。上限が緩和されているからといって、のほほんとしていられる数字ではない。
実は、当日のピークの時間は、アクセス数をリアルタイムでチェックしながら祈るような気持ちで増えていく数字を見ていた。ひとりでも多くの人に触れて欲しいと思う反面、エラーで誰かをがっかりさせているんじゃないかと思うと気が気じゃない。アクセス数が想定以上に伸び始めたら、データやテクスチャのクオリティを一段低いものに差し替えるつもりで身構えていたけれど、その手は使わずに済んだ。
今回はJunoの木星軌道投入というかなり注目度の高いイベントだった。これに耐えられたというのは良い知らせ。一方で、TwitterやFacebookなどで更に多くの有名アカウントに紹介されていたらこの数倍のアクセスが来た可能性もある*2。今回サーバが止まらなかったのはただの幸運だったかもしれない。
一番簡単な対策は、サーバを増強するという方法。要するにお金で解決する。商用Webサイトを考えれば4万PV/dayはさほど大きい量ではない。サーバを上位のグレードに上げる、あるいは専用サーバを借りるなどすれば何も気にしなくてもいい。とはいえ、こんなアクセスは年に数回しかないし、商売でやっているわけでもないから、できればコストを掛けずに知恵と勇気で乗り切りたい。
転送量を減らすためにやれることはまだいろいろある。スクリプトはもう少し圧縮できるし、画像のクオリティも改善の余地はある。アルゴリズムを工夫すればデータ量ももう少し減らせる気がする*3。ただ、それで2倍には耐えられるようになるかもしれないけれど、おそらく10倍には耐えられない*4。今回くらいのアクセスでも、おそらく何日も続けばサーバは止まる*5。そろそろ、その先の手を考えておく必要があるかもしれない。
*1 さくらインターネットの共用サーバ
*2 あかつきの軌道投入の時に、あかつきの公式アカウントとNASAのキャンベラ深宇宙通信局に紹介された途端にいきなりアクセス数が倍に跳ね上がったことがある
*3 これはクライアント側での計算量がさらに増える可能性があるので実行速度とのトレードオフになる
*4 実は、GoogleSatTrackは30万PV/dayに達したことがある。ただ、GSTは一人あたりの転送量は数百kBしかない。こちらの問題は転送量ではなくGoogleMapのアクセス数制限
*5 かつてUARSやROSATという衛星が地上に落下するという話が話題になった時は、GoogleSatTrackへ万単位のアクセスが数日間続いた
§ 情緒的な話
問題という言い方は少し変かもしれない。ようするに、沢山の人に見てもらえてとても嬉しい、という話。前にも同じようなことを書いた気がするけれど、何度でも書いておく。これは絶対に忘れてはいけない話なのだけれど、気を抜くとすぐに忘れてしまうから。
4万PVという数字は、上のように技術的に見れば、ただのサーバへの負荷でしかない。どうやって大量のアクセスを捌くか、どうやってサーバへの負荷を低減するか、そのための指標になる数。でも、実際には、その数は誰かが自分の作品を見るためにページを開いてくれた回数だ。そう考えると133ヵ国、4万PVというのは気が遠くなるような数だ。
これを書いている今も、あのページには常時数十人がアクセスしている。アメリカの西海岸からスマートフォンでアクセスしているこの人はどんな人なのだろう?まて、ロンドンは真夜中じゃないか、こんなページ見てないで早く寝たほうがいいよ。ロシアは今は朝、もしかしたらJunoの話を今朝はじめて知ったのかもしれない。おはようございます。昨日すごいことがあったんですよ...その1クリック、1クリックの裏に誰かがいて、それぞれにバックグラウンドがある*1。みんな楽しんでくれただろうか?がっかりしたりしなかっただろうか。できればみんなにありがとうをいいながら握手をしたいくらいなのだけれど...
あるいは、ログファイルを見ていると、たまたまアクセスが重なって503(アクセス過多)のエラーが出ていることがある。データ上はただのエラーコード。でも、これはクリックしたにも関わらず誰かがサイトを見られなかったということだ。ああああ、ごめんなさい、ごめんなさい。どうかあきらめないで、もう少したってからまたきてね(´・ω・`)ノシ
いつからか、これは何かを作る上でのモチベーションというだけでなく、作品そのものの根幹を形作るようになった。
だいたい僕の作る作品は、いつも機能がすごく少ない。それは技術が追いついていないというのが半分だけれど、もう半分は意図的なもの、見ている人の想像力を邪魔したくないからだ。ふとしたきっかけでこのURLに出会い、なにげなくクリックする。100人いれば100通りのJunoとの出会い方がある。そのときの体験を、あるいはその時の思いをなるべく邪魔したくない。日常の体験の中に、するりと入り込むようなものでありたい。
だから、誰もが日常的に使うブラウザじゃなきゃいけないし、そのために何かをインストールするのでもいけない。いちいち前置きはいらないし、画面に余計なものはいらない。極力シンプルで、簡単で、でも見聞きする話と違和感がないくらいには正確でなくちゃいけない。ブラウザでURLを開くだけで、たとえば星空を指差すように、探査機の今いる場所がわかる。僕が作りたかったのはそういうサイトだ。
そうあれかしと願っているけれど、思い描いているものが、どこまで実現できているかはよくわからない。でも、こうやってアクセスログを眺めていると、少なくとも自分のしようとしていることは間違っていないと信じることはできる。
あの日、少なくとも数万の人達が、あの作品を通じて、人類が木星に探査機を送り込むのを見守っていた。そのことを心から誇りに思う。そのひとつひとつの体験が少しでも豊かなものであったことを願いたい。
最後にもう一度お礼を。ありがとうございます。また何か作ります、これからもどうぞごひいきに。
*1 いちおうBotはアクセス統計からは排除されているので、これらはちゃんと「誰か」である可能性が高い
> nanasi [仕事中でしたがスマホで見てました。 何億キロも離れた所と同じ景色が小さな携帯画面でリアルタイムに再現されていると思う..]
> Makoto [宇宙旅行や「銀河帝国の興亡」の世界に行けるので,少年時代に空を見上げていたとき以上にドキドキする時間を持てます。 ..]
> isana [ありがとうございます!楽しんでいただけたのなら何よりです。現状では時間の流れ方を変えるのはシステム的に難しいですが、..]