■ snow ■
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 雪が降っている。

 例えば、山に降った雪が、万年雪になり、数十年の歳月を経てゆっくりと溶け、
 岩のなかのミネラル分を少しづつ溶かし込み、川となって流れる。
 その遍歴をグラスのなかの水に見る。
 バーのカウンターの上、チェイサーのグラスのなかに、雪が降っている。

 真冬、真夜中、一面の雪景色。
 その透明さは、真夏の真昼、コンクリートの上で時間が溶けていく感覚に似ている。
 瞬間が永遠に引き延ばされ、時が止まる。
 静寂が精神を満たし、身体の感覚が限りなく希薄になる。
 ただ、身体の最も奥深いところで、普段はノイズに紛れて分からない何かが、ひそやかに輝き始める。

 雪が一番似合う場所は、きっと、砂漠だ。

 マリン・スノーを見てみたい。
 海面近くで死んだ微生物が、何百年もかかって海底へと降り積もる。
 その光景を海底の岩に腰掛けて見つめていたい。
 まったく光の届かない暗闇のなかを降っている雪が見たい。

 息をひそめて、闇の中に溶けていきたい、雪のように。

 映画「ノスタルジア」のラストシーン。
 緩やかな小高い丘の上に立つ古びた小屋の前に、男が1人、半ば身を起こして倒れている。
 男の前には水たまりがあり、男のとなりに犬が一匹伏せている。
 男と犬は微動だにせず、こちらを見つめている。
 カメラが引いていくと、そこはサン・ガルガノ大聖堂、廃虚の教会の中庭。
 男と犬と小屋の背後に石造りの巨大なアーチが見える。
 やがて、廃虚の中に雪が降り始める。男も、犬も、小屋も、全ての風景を包んで雪が降る。
 男の心の中に降るノスタルジアが、雪となって観客の前に降り始める。

 あるいは、「処女の泉」の中で、レイプされ、殺された少女の上に降る春の雪。

 雪が降っている。歩道に、噴水に、横断歩道に、水たまりに、捨てられた自転車に、
 歓楽街のネオンに、小学校のプールに、電話ボックスに、神社の石畳に、
 駐車禁止の標識に、電車のレールに、くずかごに、変電所に、タバコの自動販売機に、
 駐輪場に、枯れた街路樹に、駅前ロータリーに、商店街のアーケードに、街灯に、
 ガードレールに、高速道路に、歩行者用信号機に、市民グラウンドに、公園の砂場に、
 植木鉢に、高圧電線に、ビルの谷間に、屋上に、屋根に、坂道に、曲がり角に、この町並みに、
 この街に、この夜に、この世界に、空を見上げている僕の瞳の中に、雪が降っている。

 透明な時の結晶が空間を満たしていく。

 雪が降っている。




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