雪が降っている。 例えば、山に降った雪が、万年雪になり、数十年の歳月を経てゆっくりと溶け、 岩のなかのミネラル分を少しづつ溶かし込み、川となって流れる。 その遍歴をグラスのなかの水に見る。 バーのカウンターの上、チェイサーのグラスのなかに、雪が降っている。 真冬、真夜中、一面の雪景色。 その透明さは、真夏の真昼、コンクリートの上で時間が溶けていく感覚に似ている。 瞬間が永遠に引き延ばされ、時が止まる。 静寂が精神を満たし、身体の感覚が限りなく希薄になる。 ただ、身体の最も奥深いところで、普段はノイズに紛れて分からない何かが、ひそやかに輝き始める。 雪が一番似合う場所は、きっと、砂漠だ。 マリン・スノーを見てみたい。 海面近くで死んだ微生物が、何百年もかかって海底へと降り積もる。 その光景を海底の岩に腰掛けて見つめていたい。 まったく光の届かない暗闇のなかを降っている雪が見たい。 息をひそめて、闇の中に溶けていきたい、雪のように。 映画「ノスタルジア」のラストシーン。 緩やかな小高い丘の上に立つ古びた小屋の前に、男が1人、半ば身を起こして倒れている。 男の前には水たまりがあり、男のとなりに犬が一匹伏せている。 男と犬は微動だにせず、こちらを見つめている。 カメラが引いていくと、そこはサン・ガルガノ大聖堂、廃虚の教会の中庭。 男と犬と小屋の背後に石造りの巨大なアーチが見える。 やがて、廃虚の中に雪が降り始める。男も、犬も、小屋も、全ての風景を包んで雪が降る。 男の心の中に降るノスタルジアが、雪となって観客の前に降り始める。 あるいは、「処女の泉」の中で、レイプされ、殺された少女の上に降る春の雪。 雪が降っている。歩道に、噴水に、横断歩道に、水たまりに、捨てられた自転車に、 歓楽街のネオンに、小学校のプールに、電話ボックスに、神社の石畳に、 駐車禁止の標識に、電車のレールに、くずかごに、変電所に、タバコの自動販売機に、 駐輪場に、枯れた街路樹に、駅前ロータリーに、商店街のアーケードに、街灯に、 ガードレールに、高速道路に、歩行者用信号機に、市民グラウンドに、公園の砂場に、 植木鉢に、高圧電線に、ビルの谷間に、屋上に、屋根に、坂道に、曲がり角に、この町並みに、 この街に、この夜に、この世界に、空を見上げている僕の瞳の中に、雪が降っている。 透明な時の結晶が空間を満たしていく。 雪が降っている。 |