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夜空に隠された100億のバラ

"I neither ought to recant. nor will I. I have nothing to recant, nor do I know what I should recant." ---Giordano Bruno

「わたしは否定すべきだとは思わないし、したいとも思わない。否定すべきことはなにもないし、なにを否定すべきなのかもわからない」 --ジョルダーノ・ブルーノ

彼は、いまだ天動説が主流だった時代に、コペルニクスに共感し地球が太陽の周りを回っていることを主張しただけではなく、宇宙には太陽と同じような星がたくさんあって、それぞれの星の周りを地球と同じように惑星が回っていると主張した。それらは宇宙の中に無限に存在し、そして、神が地球に生命を創り出したのなら、それらの惑星にも同じように生命を創り出すことができたはずだと述べた。

かろうじて彼は、地球はその他の惑星の生き物にとっての天国なのだといったけれど、これが「天国は他の星にあるのかも知れない」という考えを否定できないのは誰の目にも明らかだった。1600年2月19日、火あぶりにされる直前、彼は釈明を求めた枢機卿に上のように述べた。彼は自分の主張が世間とは相容れないことを知っていたはずだ。死の間際、悔い改めることを求めて十字架が差し出されると、彼は顔をそむけてこういったという。「裁かれている私より、裁いているあなたたちのほうが、真理の前に怯えているではないか」

ここで、彼の勇気を讃えることはたやすい。彼は自らの信念のうちに生き、そしてその信念のもとに死んだ。とはいえ、彼の主張はむしろ無謀というべきだろう。理論的な根拠は無きに等しいし、そういう主張がどういう結果をもたらすかを彼が知らなかったはずがない。結果的に彼の主張の多くは正しかったけれど、偶然以上のものではなかった。それはサイエンスというよりはむしろ哲学や信仰に近い。周りの人間からすれば、良くても危険思想、悪くいえばただのたわごとでしかなかったはずだ。まあ、それが死に値するものだったかどうかは、その時代に生きていない我々には理解できないことだけれど。

彼の死の直後、木星の惑星を発見し、それらの動きと星々の運行から、地動説を科学的に論じてみせたガリレオ・ガリレイは、ブルーノと同じように教会の審問にかけられ、その「思想」を捨てる成約書にサインした。その時「それでも、地球は動いている」と彼がつぶやいたのは有名な話だ。

いや、むしろ、僕は生命に満ちた豊かな宇宙像を描いてみせたブルーノの想像力に敬意を表したいと思う。彼の宇宙はとても美しい。

400年を経て、いまだに僕達は彼の主張に答えを出せていない。確かに地球は太陽の周りをめぐっていたし、最近になって分かったように、多くの星々は太陽と同じように惑星を持っているらしい。でも、最後の一つ、この宇宙が生命に満ちているかどうかは、今だ答えがでていない。個人的には心から彼の予言が正しいことを願いたい。だって、そのほうが楽しいもの。

僕たちは、その時初めて彼が見ていたあの生命に満ち溢れた星空を見上げることになる。それはきっと、昨日の夜空と何一つ変わるところのない、素晴らしい光景だろう。

あえて断言しよう。僕たちがあそこを目指すのは、ひとえにその夜空のためだ。そのたった一夜のために、僕らはロケットを飛ばし、望遠鏡を空に向ける。僕たちは特別な存在ではない。そのことを知るために僕たちはあそこを目指すのだ。湯水のようにお金を使い、時に生命を賭してまで。何たる無駄使い!なんて素晴らしい無駄使いなんだろう。

そう、花びらのたった一枚でも十分すぎるほどだ。それだけで僕たちは夜空に隠された100億のバラを愛でることができる。そして、あのフランスの飛行士が愛したように、僕たちは心からその星空を愛するだろう。

2003.02.24 KASHIWAI, Isana