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一年前の僕へ - 2012.03.11

君はいまとても混乱しているはずだ。そりゃそうだ、君自身はさほど大きな被害はなかったとはいえ、生まれてこの方あんな経験をしたことはなかったし、まだ状況もよくわかっていない。これで混乱しないはずがない。もしかしたら、こんな間の抜けた手紙を読んでいる暇も余裕もないかもしれない。それでも別にかまわない、どうせ君は一年後に自分でこの手紙を書くことになるんだから。

当然ながら、僕は君がこれから一年、何を経験するか全部知っている。少しネタバレをすると、いろんな事があるけれど一年後の君はさほど大きな心配もなく概ね幸せそうに暮らしている。君は幸運だった。ありがたいことだ。そこは安心していい。これ以上はあまり具体的なことを話すのはやめておく。そういうのはあまりフェアじゃないし、第一最初から筋がわかっていたんじゃつまらないからね(といえるほどにきみは幸運だったのだと思ってくれていい)。

さて、言い訳はこれぐらいにしよう。とはいえ、僕は今君に何が話せるだろう?

正直をいうと、僕が君にアドバイスしてあげられることはあまりない。ごめん。何しろ僕はまだ混乱しているんだ。1年も経って? そう、1年もたって僕はまだ混乱している。どうにも情けないね。でも、その戸惑いの有り様は、当初とは少し変わった。その変わりようを君に伝えておくのは悪いことじゃないかもしれない。

最初の問題は情報不足だった。そう、君が今まさに直面していることだ。何もわからない。テレビは沿岸の街並みが津波に押し流される様子を延々映し出している。胸が痛む。街が燃えている。インフラが滞り、家族や知人と連絡をつけることすらままならない。漏れ伝わる僅かな情報ではあちこちの工場や発電所がトラブルを起こしているらしい。何かとんでもないことが起きている。そのことだけはわかる。でも、わかっているのはそれだけだ。不安と焦り。今何が起きているのか、これから何が起きるのかまるでわからない。

でも、少なくとも君のいる場所ではそれは長くは続かなかった。次に来たのは、逆に情報が多すぎるという事態だ。ありとあらゆる情報がごっちゃになって君を襲った。少し不謹慎な例えを使うなら、まるであの日の津波のように。

疑いようのない事実もあれば、明らかな間違いとすぐに分かるものもあった。厄介だったのは、一見本当に見える嘘や、嘘に見える本当が沢山混じっていたことだ(実はこの状況は今も続いている)。多くの人々はその波に翻弄され、押し流され、為す術もなかった。今から思えば僕も押し流された一人だ。うまく泳いでいたつもりだったけれど、たどり着いた先は今まで見たこともないような場所だった(君は今僕がどこにいるのかを知りたいかもしれないけれど、それはこの文章の趣旨とはあまり関係がない。大丈夫、そんなに変な場所じゃない)。

情報の津波が去った後、そこには瓦礫が残った。僕達は今もその瓦礫の中から使えるものと使えないものをより分けている。これはなかなかやっかいな作業だ。ある人にとってはゴミにしか見えないものも、他の人にとってはとても大切な思い出の品なのかもしれない。要らないからって勝手にぽいぽい捨てる訳にはいかない。逆に放置しておくと害を及ぼしそうなものもある。人のやり方を見ていると、そんなに大きな物を抱えていたら大変じゃないかなと思うこともあれば、そんなに何もかも捨てなくたっていいじゃないか、と思うこともある。まあ、それはいいっこなしだろう。僕も随分たくさんの物を捨てたけれど、それでもまだ色々抱えたままだ。人から見れば随分滑稽に見えるかもしれない。結局のところどれを捨てて、どれを拾い上げたものか、僕自身まだ考え倦ねている。

そして人々は歩き始めた。てんでばらばらの方向へ。最初はちょっと不安だったけれど、これは思っていたほど悪いことじゃなかった。みんながみんな同じ方向を向いている必要なんてない。今となれば当たり前だけれど、最初はみんな一つの大きな物語を共有していると思っていた。でも、たった一つの物語なんてどこにもない。最初から同じ出来事を巡る無数の物語があっただけだ。それに皆が気づくのには少し時間がかかった。困るのは未だにそれが我慢できなくて「おい、こっちへ来いよ」なんて大声で叫ぶ人がいることだ。でもそういう輩の言うことは適当に聞き流しておけばいい。確かに彼らの言うことにも一理あるかもしれないけれど、それは彼らにくっついていく理由にはならない。

そんなわけで、ようやく僕も歩き始めることにした。拾いそこねたものはあるかもしれないけれど、まあ、それはどうにかなるだろう。君はこの一年で随分慎重になり、一方で随分大胆になった。僕を見てちっとも変わらないという人もいるけれど、たぶんそれはぐるっと回って一周してしまっただけだと思う。

これがこの一年で起きたことだ。抽象的で申し訳ない。でも、最初に具体的な話はしないと決めたからね。僕は今、君に洗いざらい全てを教えたい欲求に抗ってこれを書いている。でもうすうす分かっているとは思うけれど、それをすべきではない、というのが僕の一年後の結論だ。

あの一件以来、誰もが少なからず価値観の変更を迫られた。そういう状況にあって、自分の判断を何かに委ねることの危うさを僕は知った。垂直に立っているものが何一つ無いときに、それでも君がちゃんと立っていることを保証するものは何か? これはそういうちょっと厄介な問題だ。

そんな時、一番信じてはいけないものがある。もったいぶる必要もないよね。そう、それは君自身だ。自分は実にたやすく自分自身を騙す。僕はこの一年、そういう例を山ほど見てきた。もちろん自分自身を含めて。何しろ君は僕だ。残念ながら君は信じるに値しない。

その意味で言えば、真っ先に君がすべきことは、この手紙に書かれていることを疑うことかもしれない。何しろ僕は君だ。それだけで疑う理由には充分だろう。まず間違いなく僕は君を騙そうとしている。僕を信じてはいけない。

意味がわからない? それでいい、この手紙は君をさらに混乱させるためだけに書いたと言ってもあながち間違ってはいない。大丈夫、その混乱は正しい。君はいずれその混乱とうまくやっていく方法を身につけるはずだ。それは早ければ早いほどいい。それこそが僕がこの手紙を書いている理由だ。

まっさきにやるべきなのは、自分を疑うことだ。結局それが一番の近道だった。そして、その戸惑いの中から立ち現れるものを見逃してはいけない。答えはそこにしかない。揺らがないものは、一見堅牢に見えたとしても、実のところは止まっているのと同じなんだ。惑うことを恐れてはいけない。その戸惑いこそが君が前に進んでいる証拠だ。そしてそれは少なくとも君がまだ倒れていないことだけは保証してくれる。それがこの1年で僕が得た答えだ。

さて、戯言はこれぐらいにしておこう。こんな上から目線の訳の分からない手紙を受け取っても、君は腹を立てるだけかもしれない(間違いなく僕なら怒るw)。それでもいいんだ。いずれわかる。結果はどうあれ、一年後君はこの文章を書くことになる。僕はあの日この手紙をを受け取った覚えがないから、もしかしたらどこかでなくしてしまったのかもしれない。まあいい、君は僕だ、どうせ君は君の思うようにしか動かないだろう。それは僕が一番良く知っている。

健闘を祈る。一年後に会おう。

一年後の君より

2012.03.11 KASHIWAI, Isana