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臓器移植に関する個人的見解

2000.04.26 posted

臓器移植に関する個人的見解

結論から言うと、僕はドナーカードにはしばらくサインをしない。
このカードは、本人よりむしろドナーとレシピエントの家族や知人に、
とても残酷な選択を強いることになる。
「自分の代わりに誰かが助かる」これはとても美しい行為だと思う。
だけど、現状ではこれが「一人を殺して一人を生かす」になりかねない。
この両者の間は、今はまだ、あまりに微妙であいまいだ。

揺れ動く死の定義がもう少し安定して、
誰もが脳死を人の死だと納得できるようになるまで、
僕はたぶん、ドナーカードにはサインをしない。

もし仮に、あなたがサインをしたドナーカードを差し出して、
僕にサインを求めるなら、僕は喜んでサインをしよう。
そして、あなたのために生命維持装置のスイッチを切ろう。

やがて、その瞬間本当にあなたがそれを望んでいたのかどうか、
僕は繰り返し繰り返し自分に問いかけるだろう。
僕は罪悪感にさいなまれるだろうか、
それでも誰かが助かったのだからと自分を納得させるのだろうか、
あるいは、あなたが望んだのだからと納得するのだろうか。

僕がその苦しみを味わうのは構わない。
あなたが望むならば、僕はその覚悟をしよう。
でも、僕のために誰かがそれを味わうのは嫌だ。
僕はドナーにはならない、そのかわり臓器の提供も受けない。
それが僕の今の選択。

死と言うのは本人の問題ではなく、常に残された人の問題だ。
そのことを忘れるべきじゃないとおもう。

2000.04.16 first release @ [diary]


by isana kashiwai
isana.k [at] gmail.com