Pretty Good Volunteers
2000.02.09 posted
どこの県だったか、イベント運営のための人材をボランティアでまかなうことでコストを削減したと言うニュースを聞いた。まあ、どこにでもある話だ。だが、この人達は本当にボランティアの人々に「対価」を支払ったのだろうか?
ボランティアという言葉の意味は、「対価を求めない無償の奉仕」ではないんじゃないだろうか。おそらく、ボランティアというのは対価をお金に求めない労働のことだ(当り前なんだけどね)。だから、「仕事」が気に入らないからやめることだってあるはずだし、「条件が不当だ」と文句を言ったっていいと思う。
必ずしも、ボランティアをする人達が無欲な聖人である必要はない。むしろ、より強く「自分の利益」を追求すべきじゃないだろうか? そして、ボランティアを募集する側は必死で彼らの利益を守るべきだ。本気でやるなら、これはお金を払うより難しい選択かも知れない。
逆に言えば、必ずしもボランティアをやっている人が "いい人"であるとは限らないんだよね。今はボランティア=いい人と言う図式が何とか成り立っているけれど、たとえば、NGOやNPOが法的に優遇されるようになれば、きっと不穏なNPO/NGOだって増えるはず。隠れ蓑にはぴったりだから。
あるいはもっと厄介なのは、善意が必ずしもいい結果を生むとは限らないということ。平たくいえば「ありがた迷惑」をどうするのかっていうはなし。良かれと思ってやってるから断るにも断れないし、でも迷惑。無償の善意っていうのは時として暴力的だ。
これは実際起き始めている。奴隷になっている子ども達を奴隷業者から買い取っているグループがあって、まあこれそのものは悪くないのかも知れないけど、あまりに次々買うものだから実は奴隷業者のいい顧客になってる。彼らは善意でやっているけど、根本的解決のためには迷惑になりかかっている。必ずしもいい人=いい人じゃあない(だからって悪い人かっていうとそうでもないところがみそ)。
牛乳パックを集めるも良、空き缶回収も良、古新聞回収だって悪くない。だけど、その影で何十年も商売としてリサイクルをやってきた古紙回収業者が絶滅しかかってるってことを念頭に置いたほうがいい。あれは経済的に成り立っていたリサイクルの数少ない例の一つだったんだけど、無料奉仕にはかなわなかった。何しろただだから。
そもそも、リサイクルが地球にやさしいなんてのも眉唾ものだ。
まあ、長くなるからこれはやめとこう。
ボランティアやNGO/NPOを否定するわけじゃない。ただ、ボランティアだって利益の追求だし、利益を追求するからにはそれなりの責任があると僕は思う。
*これは蛇足
Open Source が日本人に理解しにくいのは、根本のところで「賃金以外を対価とする労働」という概念が分からないからじゃないだろうか。